きかよん 1993.10  No. 5

ヨナ4・6
すると主なる神は、彼の苦痛を救うために、とうごまの木(きかよん)に命じて芽を出させた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、とうごまの木を大いに喜んだ。

 


アルファベット

               ジュリアーノ

 

 まだおつむの片隅にちょっと残っていた「思考力」によってオバカサンは気が付きました。最近、自分の時間もエネルギーも全部会社に吸い取られてしまって、しばんだ風船みたいな生活をしているのではないかと。仕事のやり過ぎの弊害で、過労状態になることよりもっと悲惨なのは、心が空になること、思考力がマヒさてしまうことです。

 彼には、もう友達に会いに行く時間も、そのゆとりさえなくなっていました。コンサートや美術館に行ったりすることもなくなり、残された唯一の楽しみとして彼に残されたのはワイセツっぽいマンガを電車の中で読むことぐらいでした。

(サラリーマンの同僚との会話の内容は、金について=40%、食べ物について=25%、

   天気=20%、セックス=10%、残りの5%は、沈黙でした。)

満たされない気持ちは日に日につのっていきました。それは、内面的な不満足感だけではありませんでした。彼は感じるのです、回りの世界全体が力を合わせて、彼から創造    力・自然さ・本当らしさを剥奪しようとグルになって働きかけているのを。小さなおつむに浮かび上がってきたのは、普通の人間なら自問するのが当たり前な質問でした:

「エコノミック家畜にされないために、僕はどうすればいいんだろう?

  もちろん、すぐ答えが見つかったわけではありません。でも一つのアイデアが浮かびました。円高やこの不景気な時期を利用して(そういえば最近は会社でも注文が減ってきました)大自然と緑に囲まれた広大な国への旅にでかけようということです。

  さて、その国に赴き、広々とした大草原を散歩しているときでした。遠くに若い牧童が大きな岩の上に座っていて、回りにはゆったりと牛の群れが草をはんでいるのが見えました。クルクルの白い毛並みの犬が疲れきったように彼の足元に寝そべっていました。まだかなりの距離だったのですが、若者が大きな声で話しているのが聞こえました。オバカサンは何を言っているのか聞きたくて足を速めました。

  牧童は、きちんと座って、まるで誰かと語り合っているかのように、アルファベットの字をずっと続けて言っていました。

  「ABC・・ZABC・・Z.」

オ=オバカサン:頭がおかしいとは見受けられないが、でもなんで繰り返しアルファベットを口ずさんだりして無駄な時を過ごしているんだろう?近寄って聞いてみよう。

牧=牧童:驚かれたとは思いますが、私は牛たちがのんびりと草を食べている間、私に命を、そして生きていくための糧をくださった方と語らいながら自分の時を過ごしたいのです。

オ:だって、ABC・・ABC・・とむにゃむにゃ言っているのが祈りなんですか?

 牧:それは神について各々がもつ概念によりますよ!天と地を創造し、み言葉を明かすことによって示された人類への愛は、あまりにも大きく、それにお答えできる感謝の意は、言葉では表しようもありません。

  せせらぎに横たわるいかなる小石の場所をもご存じの、人が決して訪れることもない奥地に咲く無数の草花に咲けよと種を蒔かれた小さな虫に精密なメカニズムを備えられた、私たちの心の最も隠された秘密でさえ、それを私たち自身が知る以上に、それをはるかに越えて深く把握されておられる方、そのような方には、彼の麗しさと優しさに匹敵する讃美がふさわしいではありませんか。

  だから私は今、アルファベットの字だけを口ずさみ、彼がそれらを使って、ご自分の偉大さと優しさにあう祈りを作ってくださるようにと、こうしているのです。

 オ:そう言われてみると、感謝のお祈りについては分からないでもないけど、でも何かお願いしなければならない時、例えば病気を治してくださいとか、そういう時は何と言うの?

 牧:同じくチューインガムを噛むようにして、でもたくさん愛情を込めて、アルファベットの字を連ねます!

  私が知る以上に私にとって必要なものは何かをご存じなくらい、主は偉大な方だと思い   ます。言葉でお祈りする人は、往々にして神の行動に自分なりの限界をつけてしまう危険   があります。だって彼は私たちがお願いするよりももっと大きなことをしてくださりたく てしょうがないのですから! 

だから、その場合にも、私はアルファベットを口ずさんでお祈りしたいのです。だって、  その中には神の心の広さを表し、彼の行動力に限界をおかない祈りを形作るのに必要な字   が全部あるのですもの。

 オ:でも、いつも同じムニャムニャを連ねていると、オウムみたいにならないかなぁ。

 牧:大切なのは、口にすることではありません。祈りで大切なのは、彼が今ここに私とおられる、そして私も神と共にいる、それを感じることです。

  彼の沈黙の、しかし深い配慮とあたたかい愛情にあふれる存在を全身で感じる時、私の祈りは機械的ではありえなくなり、彼も私から遠ざかることができなくなってしまうのです。

  オバカサンは、他にも聞きたいこともあったのですが、この度は口を閉じることにして、その広大な地の放浪をまた始めました。そうして歩いていたら、またしても誰かが小さな声で、

   「ABC・・ZABC・・・Z

 とささやいているのが聞こえるではありませんか。急停止して、誰だろうとあたりを見回しました。目を凝らしましたが回りには誰もいません。で、また歩き始めました。と、その声もまた始まりました。

   「ABC・・ZABC・・・Z

 まだ聞き取れるような大きな声ではありませんでした。耳にした人に狂ってると思われてはいけないとでも気づかっているのでしょうか、聞き取れないほどの小さな声でした。オバカサンはどういうわけか、その声を聞きながら歩いて行けば行くほど、心が休まり、歓びと平安に満たされてゆくのを感じました・・・。

  訳:太田綾子

 


“聖書の旅”に参加して

高橋 和子

 私にとって、MOPPの兄弟との出会いは、一年前のフランスヘの旅行の時、ルルドでロジェ神父さんとレミさんに会ったのが初めてでした。今回ゴールデンウイークに、日光での“聖書の旅”に参加して、豊かな自然の中で歩きながら、聖書の文章を暗記し、グループの分かちあい、又祈りの雰囲気もすばらしかった。日々の生活の中で、聖書の句がよみがえり味わい深いものです。また新緑の自然の懐に抱かれてのミサは、さわやかで私にとって初めてのことでした。

“出会いの中で神を見る”という言葉は、私の好きな言葉です。人々との出会いの中で信仰を強めることができます。その意味でも、素晴らしいチャンスでした。

 


バングラディシュの子供を訪ねて

吉田 敬子

バングラの子供達の学費の援助を始めてから、早いもので4年になる。

友達に声をかけ3人から始めて、今では25人の子供達が私達の友達になっている。“お金よりも心を”をモットーにして、毎年12回訪れ、援助している子供達や婦人達に会い、おしゃべりをして、冗談を言い合い楽しい時を過ごしてくる。

 今回は、8月に訪れ、子供達の学用品、玩具、衣類等、70kgを友達と2人で運んだ。この70kgの荷物は、私が職場でバングラの子供達の話をしたら、それに感動した??同僚が近所の友達に声をかけ、あっと言う間に彼女の家に、子供への物が沢山集まった。彼女いわく“家が狭くなったので、次回行くまで、あなたの家に置かせて”・・・荷物の山が我家に移った。涼しい夏とはいえ、この荷物と夏を越すのは・・・と、バングラ行が決まった。

 神様も同行して下さった??様で、追加料金なし、検査なし、中身の質問のみで、バンコク、ダッカと通過し、目的地マイメンシンに無事届けることができた。

 8月のバングラは、雨期の終りで、日が照ったと思うと雨が降り、湿度は高いのだが、例年の日本の夏より過ごしやすかった。飛行機から見ると、洪水の被害があちこちに見られたが、ダッカ、マイメンシンは、被害がなかった。

 マイメンシンには、テーゼ(キリスト教の宗派を越えた共同体)の3人のブラザーが貧しい人々のために働いていらっしやる。

 汽車でマイメンシンの駅に着き、ホームに降りると、子供達に囲まれる(年令さまざま)。  彼等は、物乞いではなく、日本で言う“赤帽さん”である。重い荷物を駅の外まで運び、チップを12タカ(1タカ:約4円)もらい、それを生活費にしている。彼等の多くは、親のない子、いてもとても貧しい子、家のない子達で、駅の周辺にたむろしている。

 ブラザー達が、この子供達のために無料の学校を開いている。授業は、夕方5時半から始まる。朝早く駅に行ってみると、彼等が布にくるまって、駅の通路や軒下に寝ている。あの様子を見ると、必要なのは学校ではなく、寝る場所と食物ではないかと思う。以前「学校を始めた」と聞いた時、この事をブラザーに言ったが、彼は「家がなく、親にも捨てられたかもしれないが、それでも自分は学校に行っている、という彼等の誇りが大切なのだ」と答え、私にはよくわからなかった。

 前回3月に行った時、テゼの集会が田舎でありブラザー達より一足先に、集会に参加していた青年とマイメンシンに戻り駅に着いた。例により子供達に囲まれて、荷物を持ってくれ、リクシャーまで運んでくれた。お金はいらないと言い、青年と話していた。どうも他の子供達と様子が違う。胸を張り、目は輝いている様に見えた。不思議に思って青年に聞くと、青年はその学校の先生であり、子供達は生徒だった。

 この時、ブラザーが言う“彼等の誇り”の意味が、わかる気がした。夕方彼等の学校を訪ねた。20人位の男女の子供達が元気に勉強をしていた。駅に寝ていた子とは思えない。私の質問に対し全員が「学校が大好き」と答え、その気持ちは、身体全体から感じられた。

 帰りに私達のためにリクシャーを探してくれる子供達は、以前のようにオドオドしているのではなく堂々としていた。

 しかし 学校が終り、夜になると布にくるまって駅の周辺で眠る。

  ・・・・悲しく、胸の痛くなるバングラがここにある・・・・

 人間はどんな人でも“人格を認められ、誇りを持って生きられる”ということが、“生きる糧(かて)”になる様に思う。貧しい子ども達やスラムの人々に対し、一人一人を認め、彼等が誇りを持って生きられるように、手を差しのべているブラザー達の仕事。真剣に、 でも何か楽しそうにやっていらしゃる。この他にも小学校や婦人達の識字・裁縫の学級等を開いており、ヨーロッパや日本の援助により運営の大きな部分が、支えられているようだ。

 日本のMOPPも婦人学級を支えている.

ジュリアーノさんからイコンを買ったあなた!あなたもバングラの彼等の友達の一人です。バングラの彼等にかわって心から“ありがとうございます”  199310

 


−彼を見捨てても、彼は私の側を離れない!−

 これは4世紀頃、エジプトの国であったお話です。この頃のエジプトでは、たくさんのキリスト教徒が、修道士としての祈りと苦行の生活を通して神への愛に生きる為に、砂漠に入っていきました。

 

ある日、そうした修道士たちの一人が、ある村を通り掛かり、一人の娘を見掛けました。そして、“悪魔”の仕業によって、一目で娘の姿に魅惑され、彼女を欲しいという激しい思いにかられました。彼は、その娘の父親が誰であるかを知ろうとしました。その父親は異教徒でした。

 

修道士はその男の所へ行き、彼の娘を自分にくれるようにと願い出ました。

『どうぞ私に彼女を与えて下さい。私は彼女と結婚したいのです。』

驚いた父親は答えました。

『しかし、あなたは修道士ではありませんか。貴方が修道士である限り、私は私の神に相談することなしに娘を貴方に差し上げることはできません。』

そして、その父親は、神殿に行き異教徒の神父に尋ねました。

『一人の修道士が、私の娘を欲しいと言って来ています。彼に娘をやるべきでしょうか?』

しばらくして神父が答えました。

『まずその若者に、彼が信じている神を捨てるように言いなさい。』

 ああ、この若者は娘のためにすっかり心を奪われていたので、ついにその申出を受け、彼の信仰を捨てることを約束しました。神父はこのことを彼の神に報告しに行きました。 けれども、やがてまたその神父が娘の父親の所へやって来るではありませんか。彼はこう言いました。

『若者が神を捨てることだけでは十分ではない。この修道士の神は、それでもなお彼を守り、彼の側から離れないのだから…。』

父親は修道士にそのことを告げました。

『貴方がして下さった約束にも関わらず、私は貴方に娘をやることはできません。あなたの神は、それでもまだ貴方を守り、貴方の側から離れていないというではありませんか!』

これを聞いた修道士は深い衝撃を受けました。

『私はなんて情けない奴だ!私は神を見捨てた。しかし、神は私を見捨てなかった!』

 

そして娘に別れを告げ、彼は兄弟である修道士達の住む砂漠へ帰って行きました。

 彼の話を聞いた兄弟達は、神の愛がどれだけ大きく深いかを知って、喜び泣きました。

             訳:本宮 栄子

 


KIKAYON NEWS & INFORMATION

424日(土)

  六本木のホールでチャリティーコンサートを催しました。とても素晴らしい音楽会でした。ささやかなパーティーを持ち、なごやかな雰囲気の中で、楽しい時を持つことができました。

   バリトン:山田 健さん

   ソプラノ:鶴崎 智子さん 辻沢 操さん

   ピアノ :中島 太郎さん 糸川 聖子さん

   バイオリン:中島 ゆみ子さん

    御協力ありがとうございました。

 

429日(木)

  山下研一さんと八乙女理奈さんが、カトリック浦和教会で結婚式を挙げられました。より深い愛の一致に結ばれますようにお祈りいたします.

 

6917

  ジュリアーノさんは、ロシア支援のためイルクーツクに行きました。イコンの利益金等でカリタスの窓口を開き、障害を持っている子供達の家族に援助をしました。そしてバイカル湖の美しさを味わい、強制労働で亡くなった日本人の基地を訪ねました。

 

710日(土)

  聖ペテロ・パウロの祝日(629日)を記念し、祝い、共に祈りました。全てのモップの兄弟、そして日本のモップの兄弟が個性的に、喜びのうちに働けるよう祈りましょう。

 

*フランス語のクラス

    場所:カトリック大宮教会

    日時:第34土曜日 午後4530

    月謝:3000

   どなたでも参加出来ます。

   興味のある方は、モップまで連絡して下さい。

 

*クリスマスの祝い

  1224日(金):午後14時 子供中心

  1225日(土):午後4時〜

  


◇編集後記◇

 前号以来、ちょっと間があきましたが、今“きかよん”をお届けできることを感謝しています。小冊子が日々の生活と違うある種の、この香ぐわしさを漂わせることができれば幸いです。“そよ吹く風の中に”憩いを得られるように。         (田嶋 文)

 


発行者 MOPPの兄弟の友だち

発行所及び連絡先   聖ペトロ・パウロ労働宣教会(MOPP

3350013  埼玉県戸田市喜沢2222 青果荘

             TELFAX  0484459514 

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