きかよん
夏1996
/ No. 9
| ヨナ4・6 すると主なる神は、彼の苦痛を救うために、とうごまの木(きかよん)に命じて芽を出させた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、とうごまの木を大いに喜んだ。 |
あらためて M.0.P.P.
...…?
M.O.P.P(聖ペトロ・パウロ労働宣教会のフランス語の略)のグループが生まれて、45年教会に認められてから30年日本に兄弟達が住みはじめて25年です。
創立者のジャック・レーヴは無神論者でしたが、25歳の時改心し、その後、修道会に入りました。第2次大戦の直後、南仏の港マルセイユで、日雇労働者の生活を調査を頼まれ、その時、労働者達とその家族が、神様のことを知らないし、正しい認識を持っていないこ とに驚き、ある若者達と、その地域に住みはじめたことから始まった修道会です。
修道会とは、キリスト者としての生き方を特別の形で、徹底させようとして集まった人々の全く自発的な団体で、その創立者のカリスマによって、会の目的や性格が違いますが、どの修道会もカトリック教会に所属し、ローマ教皇を最高の指導者としていて、その権威によって、発布されるすべての規律に従い、共通のカトリック教会の典礼や慣習を守っている人々の集まりです。
聖ペトロ・パウロ労働宣教会という名が生まれたのは、ペトロは共同体を集め、教会を導き、パウロは、テント職人として生活し、人々の家に泊まって、キリストのことを伝えた人でしたから、ジャック・レーヴと若者達は、ペトロとパウロのように働さたいと思いこの名を付けました。無償で、神のみことばを伝えるため、仕事をし生計をたて、また、神様を知りたい人に出会うために、それぞれの職場に行きます。
神様のことと聞くと、何か人間の次元から離れたものと感じる人もいるでしょうし、一人一人の受け止め方も違うでしょうが、神様のことを知らせることは、一人一人の人間に豊かに生命を与え、一人一人の幸せを願っている存在があること、また、その神が紛れもなくこの地上に生きたし、また、与えてくださった贈り物を伝え、そして、今も力あるそのみ言葉を知らせることです。
現在、フランス、イタリア、スイス、ドイツ、ロシア、日本、カナダ、ブラジルに兄弟達が住んでいますが、昨年、兄弟達の集まる総会が催され、前半は、各国から友人と知人が集まり、自国の様子を語り、参加者はお互いに耳を傾けました。
日常生活はどこの国も同じですが他の国の報告者の話を聞くと、世界の多様さと単一さをよく感じました。日々の平凡な事柄と、都市にはびこる無関心と没個性の場(砂漠のようです)にも、生命の光がさしているように、その集まりに参加できた私にも深い印象が残っています。
“人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょう。
あなたが顧みてくださるとは。”(詩編8)
MOPPのコンヴェニオで見たこと
太田 綾子
イタリア北部の美しい湖、マッジョーレ湖のはとりで行われた我等のMOPPの集いにわたしたちも誘われた。変人でも奇才でも天才でもない−別にそれを自慢しようとも、又卑屈に思おうともわけではないが−わたしたち、その編成もやまとまでしこが90%を占める全12人という大デレゲーション、2歳から70歳のしあわせな日本の友は、又してもない奇会、貴会、あらこのワープロどうしているの?、喜々会い、エイ!機会を得た。
又してもないというのは、もうないという意味でも、もう当分ない、という意味でも勿論なく、行ってみないとわからない体験ができた、と小生(やまとなでしこの一人)以下皆が思っているという意味です。
第一、色々なタイプのMOPP宣教師と一緒に食事をし、笑い、祈り、語り合い、踊り−ブラジルに居る兄弟、ミッシェルが体で祈る方法を教えてくれた−個々の戦況、仙境、船橋、エイ!宣教体験(ワタシタチの場合は兄弟側から見ると「被宣教」かな…?やまとなでしこは天の邪鬼なんです!)の発表までして来たというのです。想像つかないでしょう?
ブラジルのセミアンド(種を撒きながら)というグループで集まってみことばに触れ、生活に浸透させ、個々の人生を、そしてこの社会を変えて行く方法。刑務所の仲間どうしが「信義」にもとずいて連帯を築き上げてゆく姿(これは、パントマイムで見せてくれたのでとても印象に残りました)。無神論政権のもとでロシアの二人のオルガのたどった波乱多き、そして勇気のある人生の証し。イタリアの若者たちが、この歪んだ社会の生き方に戸惑って居る人々を受け入れるコミュニティーを開こうとしていること。助祭でもある大きくて優しいジュゼッペさんのカテキスタとしての長い経験にもとずく聖書の読み方についてのお話。その他、あまりにも多くのユニークな、忘れられない人々と出会うことが出来、総長のニコーが参加者たちへのメッセージの終わりに引用した聖書のことば、「砂漠が花園に」なる日ははるか遠くても、ここにすでにその芽は膨らもうとしている、と感じられました。「兄弟が共に座るのは何て麗しいこと」(たくさんの水入らずのケンカも出来るし!)

今回、M.0.P.P.の知人達に、
日頃感じていることを伺いました。
本宮 栄子
1983の秋、来日したばかりのレミとの出会いから、モップとの長いお付き合いが始まった。彼らの放つ温かさ、深々とした信仰、揺るぎのない確かさに心惹かれて、何かにつけて拠り所とさせてもらう日々が始まった。(男性的、西洋的でもあるととに、自分とは異質なものも感じていたが、それはただ、自分で試行錯誤しなければならない部分があると感じただけのことだ。)けれども、こと『宣教』について話す時にはいつも反発した。「私は宣教目的の為なら友達は紹介しません。」などと。今にして思えば冷や汗が出るようなせりふまではいた。他にも色々と行き違いが続いた時期があって、しばらくは無理をしてでも、できる限り彼らに密着して生活してみようと心に決めた。これは、翌日起きられず“急病・急用”で会社を休むことが度重なって半年で止めることにしたが、実はその問に見たことが、私を大きく変えた。
私は、彼らの無骨で不起用な言動の裏に、本当のところ相手から何も取ろうとしない(物質だけでなくすべてにおいて)、ただ相手に『豊かさ』を伝えて分かち合うだけで完結する、とてつもなく気前の良い心を見た。それは衝父の慈しみを具現して見せてくれるものだった。また、彼らの側で彼らを支えている人々の、無私な温かさに触れた。そして、聖書の旅、イコン作り、聖書の会、コンサート等々、彼らの様々な活動に参加する人々が、内側から輝くのを見た。見とれる程に。(自分は何も理解していなかった…)という思いが湧いた。この、(自分は彼らのことを良く理解していない)、という思いは現在も続いている。というのは、彼らの活動は多岐に亘り、私がお会いしたことがない多くの方々を巻き込んで、アメーバーの様に常に動いているからであり、また彼らの生活の深みは、私自身がもっともっと変わらなければ、到底理解できないことのように感じるからだ。ただ身に染みて気付かされたことは、福音を伝えることは、相手が『生きる』ことを願うこと、それに尽きるということ。たとえば海外援助の活動の中でも、援助を受ける方々のことばかりでなく、それと同じ程に、協力する方々のことを深く心に掛けている。行動を通して深いものに触れられて、より生き生きと生きられるようにと…。それから、彼らは西洋の衣服を私達に着せようとしているのではなく、脈々と流れる命の川の源を伝えて、後は、私達の衣服は私達で作って欲しいと望んでいることも理解した。
共同生活をし、労働しながら、無償で福音を伝えるという厳しい生活を選んだ人達らしく、彼らは皆個性豊かで一徹なところがあるように感じる。それは時に人間的な不協和音をも生じさせる。けれども、だからこそ一層、彼らを通して御父の慈しみが透けて見える。大いなる神に完璧に魅せられて、忠実に向き合ってさえいるなら、その人達が“立派”であるかどうかは、あまり大事ではないように感じる。私は、モップの兄弟達の、『御父に完璧に魅せられている姿』に導かれて来た。今、彼らと、その側近くで活動を黙々と支えてこられた方々に心から感謝したいと思う。そして、彼らが日本に来た目的(と思うこと)の為に祈りたい。御国が来ますように。
MOPPの兄弟に寄せて
竹内 晶子
私の生活は所有欲を中心に回っています。良い家に住みたい、美味しい物を食べたい、綺麗な洋服を着たい、面白い処を旅行したい、とそれは際限がありません。知識の所有にしても同じことで、例えば語学を学ぶのは、楽しく旅行をしたり、外国人の友達と楽しくお付き合いがしたいからです。キリスト教徒でもない私がキリスト教について興味を持つのも、西洋の美術を楽しみたいからなのです。
全ては自分が楽しむ為なのです。何と自己中心的なことでしょう。ただ、敢えて言わせて頂けば、『人間の人生とは大旨こんな物』という気もします。一生懸命働いた結果少しづつ収入が増え、生活が向上することは決して悪いことではありませんし、美術を楽しみたいと思うことが悪いはずがありません。それなのに何となく後ろめたく思うのは、MOPPの兄弟のお蔭なのです。
彼等も働いて収入を得ますし、学ぶことで知識を蓄えます。けれど、それは彼ら自身の為にではなく、第三者の為になのです。或いは神様の為、と言っても良いかもしれません。そういう意味では彼等は何一つ所有せず、彼等が一時的に所有しているのかの様に見える物は、それを求める人々の為に存在しているのです。彼等の時間さえも!
一体全体こういう情熱はどこから来るのでしょう?『神様への愛から』と言ってしまって良いのかどうか、キリスト教徒でない私の理解を超えています。キリスト教の聖職者のすべてが立派な人間とは思いませんし、キリスト教自体に対しても常に懐疑的な目を向けている私です。それなのに、非キリスト教徒の方々と話していると、いつの問にかキリスト教の擁護をしている自分がいます。
私には宗教のことはわかりません。ただ、『非キリスト者である日本人をも含めた日本社会』を理解しようと異文化の中で努力し続けるMOPPの兄弟達を、一人の人間として愛し尊敬しています。彼らを通して、『彼らを存在たらしめるキリスト教』をも、私なりに尊敬しているということかも知れません。
日々の営みの間に
狩集 憲彦
キリスト教についての関心は、明治以後、わたしたちの社会が、西欧文明を積極的に移入することから始まったという歴史的事件と切り離すことができない。
私にとって、物心ついて以来、桎梏のようにまとわりついている社会制度や法の根拠を問うことは、自己の生き方を探るうえでも必然の経過ではなかったかと思うのだが、この国の法や社会制度の核心部に、人知れずキリスト教が生息していることは言うまでもないだろう。
いや、問題は、西欧文明を移入するに際し、その育ての親ともいうべきキリスト教を理解することもなく過ぎたわたしたちの近代化の歴史にあると言うべきだろうか。社会制度や法が私に取って桎梏のように感じられた原因の一つはそこにあったのだ。
だが、キリスト教をその教義内容から知ろうとするものは、先ず言葉という障壁につまずく。聖書の言葉は を許さない たる詩的表現を帯しているからである。これに近づくには、形而上的直観によるほかないとも言えよう。
直観を導くものはなにか。― 人知れぬ奥山に籠り、大自然の中、祈りと瞑想のうちに霊的存在と合するのも一法であろう。が、日々の労働の間に、つまり、もっとも身近な生活の場で、聖俗融合の啓示を持つ姿にこそ究極を見たい。それは、キリスト教が、具体的なかたちで、わたしたちの周囲に生きていることの証しでもあるからである。
フィリップ、ジュリアーノ、レミの三兄弟を招いてのささやかな夕食の後に、お礼に、と言ってラテン語で讃美歌の一節を歌ってもらったことがあった。町中のありふれたマンションの一室が、たちまち高貴と静謐の唯中に浸されてゆくように思われたのは私の幻覚であろうか、。
“その時マリヤと共に来たりしユダヤ人、イエスの為せしことを見て、多く彼を信ぜり…”
小学生の「てるちゃん」からの便り
「目の不自由な子に出会いました。
太陽ってどんなのと聞かれたので、
説明してあげました。
月ってどんなのとその子は聞いたので、
月ってどんなのかおしえてあげました。
それから、世界ってどんなふうなのか聞かれたので
僕は泣きながらでっちあげてしまいました!」
MOPPは神のシェルターか?
津島 謙一
始めまして、私は変な縁で青果荘のMOPPの方達と知り合いになり、出張で上京した時立ち寄らせて頂いているものです。初めて伺ったのは確か平成5年6月頃です。その時はカトリックに関する知識も殆どなく、丁度、文化的背景を全く知らない国の外国人と話しているような不安感を感じて、かなりナーバスであったのを覚えています。またミサの後半に有る、“キリストの血、キリストの肉”のところはちょっと抵抗を感じ、“やはり場違いなところへ来たのかな”と思ったものです。しかしMOPPの方達の愉快で、真摯で、友好的で、熱心な人柄に感動し、“一つキリスト教でも勉強してみるか”と思い、色々と本を読んだりしました。最初のうちは聖書に書かれて有る科学的に不可解なことが気になり、悩んだり、ばかばかしいと思ったり、またMOPPに泊まり込んでそれとなくみんなに尋ねたりしました。MOPPには熱心な信者ばかりか集まって来るせいか、このような素朴な疑問を話題に出来ないような雰囲気が有るので、少し苦労をしました。何度か通う内に私もキリスト教のアウトラインが解ってきたし、MOPPの方やミサに参加される方とも親しくなれ、最近やっとリラックスして話しが出来るようになれたと思います。MOPPの方達は愛の神を説いておられますが、その考えには賛成しつつも、この不景気な世間で営業関係の仕事に携わっておりますと、中々愛の神には会えないものです。むしろこの世には、“弱肉強食”という神が存在し、我々は日夜その神と戦っているのではないかと思うことがしばしばです。そんな時MOPPに立ち寄るとしばしの間心が満たされ、まるでシェルターに逃げ込んだような気分になります。企業戦士の皆さんは夫々自分のシェルターをお持ちと思いますが、私はこのシェルターが気に入っています。最後に、ミサの夜に食事の世話をされている文さんの料理はなかなかのものです。これも楽しみの一つです。
‡‡‡‡命を愛したお母さんたち‡‡‡‡
イタリアでおきた出来事、でも世界中のどんな山奥でも、大都会でも起こったかもしれない小さな、普通の日常生活の中の出来事が今話題になっています。癌におかされた若いお母さんたちが、お腹にいる赤ちゃんのために自分の病気の治療を受けないで、赤ちゃんを「世に出して」からすぐに亡くなっていきました。その「摂理のままに」生き通した母、太古からの命の継承を担ってさた母の役目を、一途に、疑問も持たずに、静かに、全うした「ふつうの」お母さんたち。私たちには足のすくむ思いがする披女たち、そしてその最愛の夫たちの選択でしたが、そこに爽やかな、暖かい光がさしているのを、私たちの生活に深い深い示唆をそっと与えてくれるのを、感じないではいられません。
そのお母さんたちの名は、ジャンナ、マリア・クリスティーナ、フェリチタ、カルラ、マリア、アントニエッタ、ロージー、……きっと世界中にまだ沢山います!彼女たち、そしてその夫たちの声を聞いてみましょう。

ジャンナ
すでに3人の子をもち4人目の子を体内に宿す母は、自分が癌におかされていると知った時夫に言いました。「ピエトロ、わたしの命か子供の命、どちらかを選ばなければならない時には、子供の方を救ってあげて。迷わず彼を救ってね」と。
「この子」にとっては、自分だけが「摂理」(その子が命をはぐくまれるところ)でありえるのだとジャンナは知っていました…。
マリア・クリスティーナ
26歳でその人生を全うしたこの若い女性は、亡くなる前に「光の中に出した」(イタリア語で、「産む」という意味)最愛のむすこに書いた手紙のなかでこう言っています。「医師の宣告を受けたとき、私は思いました。私は今妊娠している、妊娠している、妊娠している!と。リッカルド、あなたは天からの贈り物なんだ、と。その日の夕、病院から家に帰る車の中で、あなたが初めてお腹のなかで動いた時、私にはあなたが『お母さん、ありがとう、僕のことを愛してくれて』と言ったように感じられました。どうしてあなたを愛さずにいられるでしょう。あなたは尊い…。我が子のために苦しめないはどの苦しみなんて、ないと私は思うの…」
フェリチタ(幸せ、という意味)
一児の母だったフェリチタは、アルプスヘヴァカンスに行っていたとき、突然激痛におそわれました。数日後、病院で癌の宣告を受け、すぐあとで赤ちゃんを身篭っていると知らされました。化学療法をすすめる医者たちに彼女は単純な質問をします。「この治療で癌は無くなるという保証はあるのか、もう一つ、お腹の子に害は及ばないという保証はあるのか」医者は両方の質問に「NO」と答えます…。フェリチタにはひとつしか道が残されませんでした。癌は容赦なく進行してゆき、赤ちゃんが6ヶ月の時、帝王切開で出産させることになりました。彼女はその子を3回見ることができました。その子が生まれてから10日後、母は亡くなりました。40歳でした。
今、2歳の子と4ヶ月の子を抱きながら、夫マーリオは語ります。「体の中に生まれてきた命を、どうして拒否することが出来るでしょうか。信仰のめぐみを持たない人にとっては、わたしの言うことは理解できないか、それとも道を外れたことばのように聞こえるかもしれません…でも、主からの愛の贈り物を、どうして『いりません』と言えたでしょうか。」
カルラ
2人目の子ステファーノを「光に出して」から8時間後、28歳の母は亡くなりました。彼女の選択に疑問を持つ人々から考えを変えるように言われた時、方言しか知らないカルラはそのベルガモ弁で答えていました。「わたしか1日少なく生きることは、むすこが1日多く生きることなの…。」
出産後、我が子を見て「すばらしい子、わたしたちの子はすばらしい…。」と。蒼白で疲れきったその顔にはうっすらと微笑みがうかんでいました。

マリア・クリスティーナ(2人目のお母さん)が15歳だった時の日記にこう書いてありました。「主よ、あなたは私の幸せだけを望んでいらっしゃると思います!だから私は今『はい、ここに!』と言います。私のすべてをお取りください。あなたが私に望んでおられるようになりますように!あなたが私のために選び、指し示すことは完璧な喜びに達する道だと私は信じます。あなたを信頼したいです。あなたに頼りきって生きたいです。苦しむことが多いことも、何度も疑いにさいなまれることがあるということも、知っているけど!主よ私に道を示してください。母の道、修道者の道、何でもかまいません。私にとって唯一大切なのは、いつもあなたのみこころだけを、それだけを、行うことです。苦しませてくださってもかまいません。だって、苦しみのうちにこそあなたに、『救い』に、出会うのですもの。疑いのうちに私をとりのこしてくださってもかまいません。だって疑いの内にこそあなたは私をさとし、私にゆるぎないものを与えようと、本音で、愛をこめて、語りかけてくださるのですから。主よ、私はあなたを必要としています!私はあなたと共に、あなたのために、あなたの内に、生きることを必要としています…私は今ここに!」
亡くなる数日前、マリア・クリスティーナは書いていました。「あなたと共に苦しむことは甘美です…。どんな苦しみも喜びに変わります…。あなたと共にいたら、何一つ無駄で終わってしまうことはありません!」
《報 告》
★10月28日(土)〜29日(日) “聖書の旅”
おくろうの家(東松山)にて、約30人の人が集まりました。子供達の釣ってきた沢ガニの唐揚げに感激!(おいしかった)緑に囲まれて、かめ虫の臭いにもめげず、元気に意義深く過ごせました。今回はお母さん方が主に計画して下さいました。
ありがとうございました。

★12月16日(土)3:00p.m.〜 子供達のクリスマスパーティー
子供達の作った紙芝居。ユニセフのスライド上映。世界のいろいろな国の子供達の様子をとても興味深く見ました。どこかの国で、日本のことを興味深く見ているでしょうね。
そして、キリストの誕生のお話。静かで、やさしい語り口の関さんのお話。大人達も感動して聞き入りました。すばらしかったですよ。関さんありがとうございました。
後は、楽しく歌を歌いたくさん食べて、大声を出して遊び、大人達も同じように楽しく、たくさんおしゃべりしました。
★2月12日(月)・3月3日(日)9:30a.m〜5:00p.m
ユウカリスティア(ミサ)について
2回の黙想会が北浦和カトリック教会で催されました。
大勢の方が参加しました。若者から年輩まで、そして遠方からも参加者がありました。ミサについて新たに、より深い意味を確認しました。なお、この時のまとめが、本になりました。一冊600円です。一人でも或いはグループでも学ぶことを考えて作られています。是非、ご利用下さい。希望者はご一報下さい。
★1996年3月30日(土)5:30p.m〜8:00p.m チャリティー・コンサート
六本木の聖ヨゼフ日本語学院のホールで、合唱と合奏のコンサートが、出演者の方々のご好意によって、チャリティー・コンサートとして催されました。出演者の方々、本当にありがとうございました。
すばらしい音楽に包まれ、温かい雰囲気で最上の時を過ごせました。
また、この時販売された造花を作って下さった方々に、この場を借りてお礼を述べさせて頂きます。ありがとうございました。いろいろな人達の尽力に、お礼を述べたいと思います。
この収益は薬物依存者の回復施設の建設にカを注いでいる、茨城ダルクの活動のために捧げられました。その他の利益と合わせて、10万円届けることができました。協カして下さった方とともに、回復の努力をしている人達のために祈りたいと思います。
★1996年5月3日(金)〜5日(日)
“聖書の旅” 不二聖心“山の家”にて
M.0.P.Pの総長であるニコーさんの来日中、子供から大人まで、数ヶ国の人達が54人程集まって共に、学び、語り、歩いて、遊んで、食べて……。
自己紹介をした時の少々固い顔から、刻々と各々ジュリアーノさんの話を通して、神の愛を各自の内なるレーダーで感じ、心の扉が少しずつ開かれ、各々本来の笑顔を取り戻し、 解散の時の“また会いましょうね”と別れを惜しむ、笑顔まで…。幸せな時を共に感謝しつつ、日々の生活に戻りました。
日本語のよくわからないニコーさんも、楽しくしゃべり、よく笑って……?!そして、言いました「“聖書の旅”はすばらしい!」と。
《今後の予定》
☆7月20日(土)4:00p.mから
川ロカトリック教会 アンナハウスにおいて、聖ペトロ・パウロの祝い(6月29日ですが、いろいろな都合で、7月20日になりました。)にあたり、パーティーを予定しています。楽しい時を過ごしましょう。持ち寄りパーティーです。すばらしい演奏もあります。ご期待下さい。
☆9月14日(土)〜16日(月)
“聖書の旅” 不二聖心“山の家”にて
春に次いで、同じ場所ですが、とてもよい環境なので、この場所のファンも多いので、ここに決まりました。是非、予定に入れて下さい。
◆編集後記◆
¡ 前号から1年が過ぎてしまいました。ここに“きかよん”をお届けすることかできました。まだ、息吹があるようです。(いつの日か終わりもあるでしょう……?)原稿を寄せて下さった方々、大変、お待ちどうさまでした。
¡ 時として、道は険しい。一歩、−歩。“眉あげて、山の険しき道を行け”(父の句より)
¡
一人一人の人間は、小さくて弱い。しかし、生命があるところ、可能性もあります。愛がとどまるところ。苦しみもあります……。深い沈黙以外ありません。
¡ 次号で、ジュリアーノさんのインタビューを予定しています。お楽しみに……!
(田嶋 文)
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