きかよん 冬1997.1 No.10

ヨナ4・6
すると主なる神は、彼の苦痛を救うために、とうごまの木(きかよん)に命じて芽を出させた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、とうごまの木を大いに喜んだ。

 


M.0.P.P 宛 便りより・・・・

 喜沢の青果荘辺りの風景もきれいな公園が整備され、新しいマンションも建設され、静かな住宅街に変わりつつあります。

 3人の兄弟の生活や、日々の祈り、木曜日の集まりなど青果荘の営みも住宅街をおおっている静寂にすいこまれて忘れられてしまいそうです。

 しかし、人々との出会いとふれ合いは続いています。今回は兄弟達のもとに寄せられたいくつかの手紙を紹介したいと思います。兄弟達はすばらしいというのでなく、一人一人の人間は、すばらしい存在なので個人的な出会いの中に、どんな共鳴の“音”が響いたかを聞いていただきたいのです。その共鳴の“音”が、それからどんな“音”に変化させられていくのか知ることができません。しかし、確かに共鳴するハーモニーがあったのです。

 寄せられた手紙の中に響いた“音”−真理と愛の美しさ−の小さいメロディーに共に耳を傾けていただき、心にそのハーモニーの響きが起ったら幸いです。木々の間でさえずる烏の声のように、街の喧騒の中にある小鳥のさえずりのようです。

現実の生活に忙しい私達ですし、一人一人直面している人生の課題はそれぞれ違います。日々の生活を通してその中に流れるすばらしいハーモニーを寄せられた手紙にのせてお届けしたいのです。

 


“きかよん”の前々号(No.8)に載せさせて頂いた、すばる福祉会の

メンバーだった方からの便りです。

 

 渡辺 順子  96.7.12

 お元気そうですね。私も毎日元気にすごしています。長くお互い連絡をとってなかったので、忘れられてしまったのではないかとさびしく思っていました。

さて、私自身のことになってしまいますが、私は今大学4年生。まわりの友達はみんな厳しい就職活動におわれています。私はそのような活動はしないで学校の先生になるための勉強をしています。先日2週間ほど教育実習に行ってきました。私は世界史と倫理をおしえました。世界史でちょうどローマの帝政のあたりをおしえてきました。

そんなことよりも、私がジュリアーノに伝えたいのは倫理の授業のことです。それを1時間だけ使ってやってみろといわれて、私はとてもなやみました。普通、高校でやる倫理は昔の哲学者が残した名言や格言を勉強したり宗教、例えば、キリスト教やイスラム教や仏教について勉強するだけになってしまいます。

私は考えました。もっと自分自身について深く考える時間をつくってあげるためにはどうしたらいいか。そこで思いついたのが、遠い昔を話すのではなくて、今を話そうということです。結局世界史でキリスト教についても少し教えたので倫理ではキリスト教における隣人愛の話を中心に授業をすすめることにしました。どうぞ怒らないで下さい。笑わないでください。キリスト教をしらないこの私が隣人愛の授業をしてしまったのです。キリスト教を教えるにあたって、何ヶ所か聖書を引用しました。マタイによる福音書の5310節の山上の説教、4348節の敵を愛しなさい。ルカによる福音書の102537節の善いサマリア人の3ヶ所です。そして、少しだけ私たちが知っているかなという理由でマザーテレサの生き方というものを紹介しました。しかし、この人のような生き方を私たちにしろといわれても、それは無理です。そこで私が経験したボランティアの話をしてみました。私は社会福祉を勉強していることもあっていままで多くのボランティアをしてきましたが、中でも阪神大震災のボランティアの話をとりあげてみました。生徒たちがテレビなどからの情報で実際の現場を想像でき、より自分のこととして考えることができると思ったからです。そして授業の最後はあの時神戸でジュリアーノに教えてもらい、みんなで読んでみんなで涙したコリント人への手紙113113節の愛についてを読んで終わりました。1時間をつかって私の精一杯で授業をしました。最後の方では、泣きだす生徒もでてきてしまいました。授業がおわってたくさんの生徒が、こんな授業を受けたのは、はじめてで感動したといってくれました。

キリスト教はとても長い歴史を持っています。それだけ多くの人々に愛され親しまれてきたのは人間に語りかける、人間の心をとらえる何かがあるのだと思います。それを少しでも少しでも生徒に伝えたかったのだと思います。私は「関心をもとうよ!」ということを授業でおしえたかったのです。今、この瞬間この場所で困っている人がいたら、ひとこと声をかけようよ!少しでも力になってあげようよ!こんな人間として当たり前のことが聖書にも書いてあるんだよ「隣人愛」なんていう難しいことばにとらわれなくていいんだよ、そういうメッセージをなげかけてきました。

あとで生徒からたくさんの手紙をもらいました。そこには、キリスト教の教えにもっと触れてみたいとか、ボランティアについて考えなおしたとか難しいことはよくわからないけど優しくしたいなど高校生の気持ちがたくさんかかれていて私自身が泣いてしまいました。このような授業をしようと思いついたのも実際にすることができたのも、ジュリアーノとの出会いがあったからだと思っています。短い問にたくさんのステキなものを受けとった気がします。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。この出会いが、さらにその次の出会いをよんでいるような感じです。

これが私の近況です。またお手紙をかきます。 

 


小川二美子さんという方の便りです。

西川口に住んでいたことがあり、マリーさんというフィリピンの女性と“M&F”という名で外国人労働者の様々の問題を解決するために、具体的に活動をしていた方です。

 

          小川二美子  ’96.5.8

<フィリピンについて思うこと>

 フィリピンに住んで3年になるのに今頃…と思うでしょうが、この頃少しずつこの国が好きになってきたように思えます。

 昔、まだフィリピンヘの旅行者だった頃、「私はフィリピンが大好き」と大きな声で言っていました。「どこが好きなの?」と聞かれると、「人々が親切でやさしい」「素朴な生活様式がなつかしい気持ちにさせてくれる」とか、抽象的に答えました。当然ですね、たった1週間ずつの滞在でしたから。

そして3年前フィリピンに引っ越してから、私の気持ちは変わりました。たぶんどんどんフィリピンが嫌いになっていった気がします。

人々はいつも利用できる人、または金のある人にはすりより、勤勉ではなく、秩序正しくなく、自分のこと、または自分の家族のことしか考えない。クリスチャンと言いながら、人を殺し、物を盗み、後で悔い改めて(心からではなく)忘れてしまう。それのくり返し…。(もちろんこれは悪人だけですけど)私は、日本でひとり暮らしが長かったので、干渉されることに慣れてないこともあり、周囲のすぐに家庭内に入り込んでくる習慣、同居したがる性格が嫌でたまりませんでした。できることなら穴の中にもぐりこみ誰とも顔を合わせないでいたいと思った時期もあります。そんな私が、この頃少しだけこの国を見直してきたのです。それは、元「従軍慰安婦」の婦人達、今ではおばあさんになった女性たちとの出会いでした。日本は国家としてその事実を認めず、賠償の責任を負いません。そればかりか、彼女たちに民間から募金を募り、ボランティア基金などと名づけ、問題の本質を隠しながら、お金でごまかそうとしているのです。

 日本に国家責任を追求しているのは、朝鮮、韓国、フィリピン、インドネシアなどの元「従軍慰安婦」の女性たちですが、彼女たち、特に朝鮮、韓国の人々は、ボランティア基金を受け取っては、日本国家の思うつぼ、決して受け取るまいと固い決心をしていました。

 ところがフィリピン側は、この度その基金を受け取ることにしたのです。(まだ決定ではありませんが)もちろん、他の国の被害者の女性たち、それを支援していたグループの人々は少しガッカリしたはずです。結束が弱まりますから……。私自身できれば、貧しくとも頑張り通してほしかったと思いました。でもまあ、そのことがきっかけで、フィリピンのことを考え始めたのです。

 フィリピンという国は、とても不思議な国だと思います。日本や韓国だったら、元「従軍慰安婦」の女性たちを50年たった今なお蔑み、仲間の中に受け入れないと思います。韓国では、元「従軍慰安婦」と知れただけで、村八分にされるそうです。彼女たちが犠牲者であるにもかかわらず…です。それは、たぶん儒教のせいなのでしょう。

 

フィリピンはどうでしょう?

 フィリピンは現在からだを売って生きている女性に対しては、影口も言います。でも過去に売春婦だった女性に対しては、忘れてしまう、もしくは、過去のことはどうでもよくなります。特に元「従軍慰安婦」の女性は犠牲者ですから、同情こそされ、決して蔑んだり、差別したりはしません。たとえば、家族の誰かが殺人犯だったとします。日本だったら、家族は夜逃げのように、他の土地へ引っ越さなければならない状況になります。そして一生殺人犯の家族と後指差されることになります。フィリピンは違います。

 フィリピン人もケンカっ早くて、すぐ刃物を持ち出しますから、ケンカによって殺人してしまう人も多いのですが、その家族は、初めのうちは肩身が狭いのですが、数ヵ月もたてば元通りの近所づきあいに戻ります。

 また、たとえば、足に障害のある子供がいたとします。近所の子供たちは平気で「ビッコ」と呼びます。最初私はこの現象にはらはらしたものです。

 でも「ビッコ」は他の子供たちといっしょに楽しそうに遊びます。でも「ビッコ」は他の子どもたちといっしょに楽しそうに遊びます。

 

日本ならどうでしょう?

 決して「ビッコ」などという差別用語は使いません。「足に障害のある子供」などとていねいに言いますが、でも仲間はずれになります。

 こんなふうにフィリピンの国民性を考えると、性的奴隷の犠牲者たちも別に意地を通し、頑張り続けたりはしないだろうと考えられます。ボランティア基金だろうと、国家の賠償金だろうと「もらえるものは、もらいましょう」ということになります。だって、彼女たちの今一番の問題は、50年前の恨みではなく、明日からの生活の貧困なのですから。50年前の苦しい出来事は、彼女たちの心の中で一歩一歩乗り越えてきたはずでどこかの国のように、周囲の人から何十年も蔑まれたりはしないので、「ひどいことした日本軍人のことは、もう許してやるよ」となるのです。

 この「許す」ということは、フィリピン人は日常のことで、50数年前、日本軍が自国を踏みつけにして、アメリカ軍と戦ったことも、ほとんどの人は、もう許してしまったのです。

 今、日本人の誰かが「戦争の頃のひどい目にあった体験を聞かせて下さい」と言っても、「悪いのは軍人であって、ひいて言えば戦争であって、あなたじゃない」と口を揃えて、戦争体験者たちは言うのです。生活の中でも、長い間恨みを持ち続けることは少なく、でも本当に言いたいことは、ガンガン言ってケンカし、刺したりもして、激しいのですが、時間がたてば許されるのです。このフィリピン人の国民性が時として、だらしなく、いいかげんで私も頭にきたりするひとつともなるのでしょう。だけど、考えてみれば、なんとあったかい人たちだろうと思うのです。

 だからこそ、何百年もスペインの植民地にされ、アメリカの植民地になり、日本に戦地として踏みつけられ、悪賢いマルコスに何十年もおさえられ、今だに外国に安く原料を売り、高い製品を買わされ、貧乏なままで、生活のために家族散々、外国で働き、それでも、誰にでも親切で、外国人には「Welcome」と言うのです。

 そんなことを考えていると、いままで「もうフィリピン人は!」と怒ってた気持ちも少し変化してきたのです。もちろん生活者としては、日々怒ることはありますけど、「私は、だからフィリピンで暮らしたいんだ」と確信したのです。以前の旅情からの「フィリピン大好き」ではなく、別な意味で。だからと言って、私自身のプライバシーを捨てて、フィリピンの人と共同生活はできません。

 でも私の考える「共に生きる」という意味が、なにもかも同一化することとは思わないので、それでもいいと思います。「共に生きる」ということは、もしかすると、「理解しあう」ということではないかと思うのです。その意味では、日本で自分の部屋でフィリピンの女性たちとずい分共同生活をしたけれど、その時より、今のようにフィリピンの片隅の穴の中でひっそり自分の生活を守りながらも生活している方が「共に生きている」に近いかもしれません。だって少しずつフィリピンの良さをわかってきたのですから…。

 それに日本にいた頃は、どうしても立場が自分の方が上だった。彼らは在留の不安や日本のことがわからず私に助けを求めている状態だったからです。今は逆、在留の許可こそあれ、異国で自分の身の置きどころを探しながら不安定な私だからです。

 「この人はこういう人」「こっちの人はこういうタイプ」とわかり合いながら、お互いに干渉することなく、共に生きていくこと…これが私の理想です。

 まあフィリピンですから、おせっかい好きの人たちの間で、自分の生活を守り続けるには、もうしばらく「あの日本人は無口な性格」だと思っていてもらうために、穴ぐら生活は続きそうです。私の穴ぐら生活は、フィリップさんのように「他人と共に生きることが自らを強くすること」とはほど遠いんですけど、……。時を見はからって、ゴソゴソはい出して行き、楽しい時間だけもらいまた穴ぐらに入るという身勝手さなのです。

 でも力がついたら、穴ぐらを出て人々の波にもまれてもいいんだけど…そのうちに。

 


            石川 博之  ’96.8.14

主の平和

 モップの兄弟の皆さんお元気ですか。

 先日は“きかよん”でのお便りありがとうございました。返事が遅れましたことどうぞお許し下さい。多分、私がライオンかワニにでも食べられてしまったのではないかと思ったのではないでしょうか。実際に先日、私の近くで再びそのような事がありましたので、主を信頼し、気を付けてはいますが…。現在、もう今年2回目のマラリアからも回復し、無事に元気で過ごしていますので、ご心配なく。お送り頂いたお金は確かに南アフリカにて受けとりました。

 さて、モザンビークは現在、乾燥期に入りつつあるころで人々は年末の雨期にめがけ少しずつですが農地を耕し始めています。こちらは焼畑農業ですので、これからは国中が燃え始めるような時期です。まだ武器がそこら中に出回っていますので、大変たくさんの問題があります。国内にはまだ200万個の地雷が残っていますので毎週のように人々がその被害にあっており、国内にはたくさんの身体障害者がいます。主はこんな中でもモザンビークの人々がもてるたった一つの希望です。私とそして一緒に働く者たちが神の光として、神の伸ばされた手として、人々に希望の光と愛をもたらすことは私達の祈りです。面倒を見ている孤児たちは元気にしています。幾人かの子供達は結核で治療を受けています。毎週のように新しい孤児が連れてこられていますが、最近で多いのはエイズで両親を失う子供達が増えています。頂いたお金はこの子供達の食費に使わせて頂いています。この子供達が今までもつことのできなかった未来への希望と夢を支える愛の贈り物、ありがとうございます。

 今回、少しですが、子供達と私の写真をお送り致します。またいつか私に日本を訪れる機会が与えられれば、ぜひお会い出来ればと願っています。前回は7年間もあけてしまいましたので、次回はいつになりますでしょうか。また、お便りさせて頂きます。どうもありがとう。

 


 

“聖書の旅”の参加者から

                  高橋 栄枝

 聖書の旅の二日目、「聖書の学び」の後、きつくて、楽しいハイキングの後芝生の上で昼食。ゆっくり休憩して帰り、芝生の丘の上で輪になって野外のミサ。子供達が道々つんだ野の草花や松ぼっくりやとんぼ達も捧献されて祭壇を飾る。宿に帰りついて、汗を流したくて子供達と一緒にお風呂に飛び込んでしまった。子供達の賑やかなこと、お行儀の悪いこと、風呂場の中に子供達の声がカーンカーンとひびく。

「ねぇ、みて、みてて、ねぇみて!?…」とわめきながらお風呂の中を泳ぐ。飛び込む。でんぐり返しをする。タイルをけってあお向けにのけぞって泳ぐ……はだかのまま、ありのままで、のびやかに遊び喜び叫んでいる。何と素敵な場面でしょう。いつまでこの子たちがこうした無邪気さを保っていられることやらと思うといとおしい。

今回の聖書の旅は、放蕩息子のテーマを通して「主よ憐れんで下さい」という祈りが日常のものになるようにということだったと思いますが…「ねぇ、みてて、みててヨ、ねぇみてた」と呼びかける声が印象深かったのです。私にも孫が3人いて、同じ呼びかけを始終聞かされていたのですが……。この心、この声は私達が天の父に呼びかける最大の祈りだったのではないかと思えて来たのです。ルカ154〜、羊飼いが羊を見つけた。ルカ158見失った銀貨を見つけた。1520、父親が戻ってきた息子を見つけて走り寄ったとありました。全て神に見つけてもらう話です。

 聖書は神が人を愛して見続けていることを知らせ、私達が神に背を向け逃げたとしても見続けていることを知らせようとしているのでした。私達が神を見ることが出来るのは、死んで後のことになるのでしょうが、人生は神を見つけたいと思い神に見られている状態というわけですネ。神の目を逃れ、神を見ることができない見えない状態が死ひいては地獄の状態なのでしょうか?

 

  みてて みてて ねえみてて

  野原でお花を摘むからネ

  林でとんぼをつかまえたよ

  森でどんぐり拾ったよ

  川で小石をみつけたよ

 

  聞いて 聞いて 聞いててね

  “おはよう”あいさつするのを

  大きな声で歌うのを

  静かにご本をよむのを

   リコーダー笛を吹くからね

 

     私達もみてて下さい

     今日の私の1日を

     楽しい時も苦しい時もつらい時も

     みてて みてて と言って過ごせたら

     「主に平和」と、

        おやすみなさいを言えるでしよう

 

病の床にふす時

痛みに涙を流す時

死に臨んでいる時も

見てて 見ててと…

 

 今回のジュリアーノさんが準備して選んで下さった旧約の引用も「神の目から逃れようとすることは死に至ることになる」「神の視野の中に居ることの幸せを忘れないように」ということだと思います。

 人が見ててと云えないような状態「見捨てられた」「見はなされた」という不安な状態の時でも、神は「私は決して見捨てない手のひらにあなたの名前をきざんで見続けている」というメッセージだったと思います。

 放蕩息子のお兄さんにしても、自分はいつも父のそばにいて父に見ててもらったという安らぎと、平和、確信と喜びがあったでしょうに……努力に対しての何らかの報酬を求めてしまうと父の心の崇高さが見えなくなってしまうのでしょう。でも人間としてこの世の生活をしていれば、これは当然のことで私達の誰もこのお兄さんを責めることは出来ませんネ。かえってお兄さんに同情してしまって「そうよネー」と言って一緒にお兄さんを責めてあげたくなります。見ててもらうだけでなく、ごほうびも欲しいというのも当り前のこと、野心は持たない方がいいですネ。現実の世界にあふれる程あるのですから。

 神様が見守り続けているのに、見てて、見捨てないでと祈らずにいられない人間の弱さ、状態を思えば、心から「主よ憐れんで下さい」と素直に祈れます。見捨てないで、見限らないで、見放さないで、見続けて、見守って、そして最後は見とって下さいと祈りつづけることになるでしょう。

 見ててもらうと元気が勇気がわき、見ててもらわないと不安になる。

 やっぱりお風呂場の中での子どもの叫び声「みててみてて ねぇみてて!!」は素晴しい祈りの言葉に通じていることを教えてくれたと思います。

 


 

3つの音in VERMIGLIO?!

                  芦沢 佳与

 今年の夏、イタリア版“聖書の旅”が、ジュリアーノさんの生まれ故郷であるヴェルミリオであった事をご存知ですか?ちなみに“聖書の旅”というのはこの“きかよん”でも何度か紹介され、また実際参加されて知っているかたも多いことでしょう。共に学び、語り、歩いて、遊んで、食べて、…ときくだけでもう既にウキウキするような内容で、私も一枚の案内の不思議な力に誘われて参加致しました。

 このヴェルミリオに滞在中、3つの種類の音にであったと思います。

 一つは、音の無い時間、つまり黙想です。これは、正直言って最初は、戸惑いました。今回〈主の祈り〉をテーマにし、それに関連した聖書の箇所について説明を受けた後、各自が少しその言葉の意味について考えます。普段の不真面目な態度のツケでしょうか…、何度繰り返して読んだところ、目で追いかけている言葉以上の事がなかなか見えてこないのです!でも、小さなグループに分かれて一つ一つの言葉に含まれている意味がわかったとき、まるで白黒の世界に色が加えられたかのようにとても嬉しくなります。

 2つめの音は、一つにまとまっているきれいな音。それは歌であったり、祈りであったりと形はさまざまですが、気持ちは一つに向かっています。伊、日、仏交えながら典礼係の人たちが上手くリードしてくれました。

 そして最後の3つめの音は遊びや食事の時間に聞こえてくる賑やかで元気な音です。夏休みだったからでしょうか、遊びの時間は充実していました。ハイキングにきのこ狩り。ドッチボールや綱引きでは大人も子どもも一緒になって一生懸命に遊びます。食事だってイアリア人のディエーゴが毎回とても豪華でおいしい食事で、私たち参加者はみんな大喜びでした。

 

 さて、夢のような日々はあっという間に過ぎ、私はいろいろな所に寄り道をしながら2ヶ月後帰国しました。家へ帰る電車の中で車内のアナウンスに加えあちこちからと、携帯電話やPHSの無秩序な音の洪水に唖然としました。こんな短い期間でも、日本は物事のスピードがとても早いので浦島花子の気分でした。でも、木曜日の夜再びMOPPを訪れるとそこには嬉しくもあの3つの音があり、はっとしました。


 

神さまとのつきあい方

 

 ある日、ひとりの聖人が僕らのところへやって来ました。

 でんぐり返しをしたり、飛び跳ねたりして、こどもたちを喜ばせている彼の姿をお母さんが窓から見つけて、僕を呼び言いました。

「あの人は聖人に違いないわ。息子よ、おまえも彼のところに行ってらっしゃい。」

彼のところに行ったら、僕の肩に手をのせて、その人は言いました。

「坊や、何をしたいの?」「わかんない!何をしたらいいと思う?」

「だめだめ、君がしたいことを言ってくれなくちゃ!」

「そうか…それじゃあ…僕が好きなことは遊ぶことなんだ!」

「よしよし。それじゃあ、主といっしょに遊びたいと思う?」

 そこで、僕は返事に困った。そしたら聖人は言ったんだ。

「もし、ほんとうに君が主といっしょに遊べたら、それは、今までのなかでこの世で一番すばらしいことなんだよ。みんな、主とあまりにも真面目につきあおうとしているから、彼のことを退屈な方だと思ってしまうんだ。坊やは神さまといっしょに遊んでごらん。そうしたら彼が最高におもしろい遊び相手だってことに気がつくよ。」  

一ロシアの童話より−

 

……弟子たちがイエスのところに来て「いったい誰が天の国ではいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」

                (マタイ18、1〜3)

 


《報 告》

 

1996年7月20日(士)

 聖ペトロ・パウロの祝い日(629日)にちなんでM0PPのパーティを催しました。川口カトリック教会のアンナハウスで午後5時半から、チャリティーコンサートで演奏して下さったピアニストの伊藤智恵子さん、関あや子さん、バイオリニスト小牧千純さんの演奏も加わり、また、たまたま会議で来日していたギリシャ人、イタリア人、カナダ人の若い数学者の突然の来訪もあり、共に語り、歌い、楽しいときを過ごしました。演奏者の方々、いつもながらありがとうごぎいました。遠来のお客さんも加わり本当にM0PPらしいパーティでした。

“兄弟か共に在るのは何と美しく楽しいこと”(詩篇133

 

1996年8月11日(日)〜13日(火)

家族で夏休み

 裾野の聖心“山の家”で7家族、20数名が共に夏休みを過ごしました。雨の中でもプールに入り親子共々、水球に熱中し、子供達ものびのび遊び回り、2日日には予め決めておいたリーダーのもとに、ジュリアーノさんのユウカリスティア(ミサ)の本に基づいて、自由に語り合い、3日日はフィリップさんを迎えて、ミサにあずかり皆一人一人、自然に祈りました。自然の中で、共に楽しく過ごすうちに心も深呼吸をして、帰路に着きました。(会沢)

 

1996年9月14日(士)〜9月16日(月)

“聖書の旅”、裾野の不二聖心の山の家で行われました。ジェニー神父さんが紙芝居のために毎日来て下さり、大人も本当に楽しく見ました。今回は、子ども達は4人でしたがこの4人の子供達が、ゲームの時には、大活躍!彼らのリーダーシップにより、リラックスタイムを過ごしました。準備した賞が最後に4つ残り、子供達の発案で4人の子供達でそれを分け、ゲームは終わり。大爆笑のうちに平和に終わりました。本当に子供達に感謝です。素直さ、正直さ、そして笑顔。これらは大人のために、神様のプレゼントですね。

 

1996年11月4日

“イエスの御名の祈り”についてのテーマで一日黙想合をM0

PPの家で催しました。10数名の人が集まり、共に学び、語り合

いました。“たえず祈りなさい”というイユズスの願いに従って

普から教えられているピこでもできる祈りを研究しました。呼吸

のリズムに合わせて主の御名を唱える祈りです。

 

1996年12月14日(土)

 午後1時頃から、越谷の団地の中の自治会館で子供達のクリスマスパーティを催しました。子供達は前もって、馬小屋にかざる人形をそれぞれ工夫して作り、当日持ち寄ってジュリアーノさんが作った馬小屋に飾りました。ジェニー神父さんのおかしくて、楽しい紙芝居の後、小さな音楽家の音楽に耳を傾け、あたりが暗くなった項、馬小屋に電気を燈し、各自が作った人形を並べて、静かに歌い、祈りました。たくさんのろうそくの火に照らされた人形は本当にきれいで、かわいくて…子供達の心のようでした。

 

1996年12月22日(日)

 午後4時半頃から大人達のクリスマスパーティー。持ち寄りで集まった食べ物も豪華!カンボジアのカレーは大人気。そして2人のソプラノ大久保英子さん、下原薫さん、l人のテナー鈴木直人さんの歌声も加わり老若男女入り交じってのゲームで雰囲気も盛り上がり、青果荘は、歌声に笑いに窓も割れんばかりの時でした。佳与ちゃんのMCはすばらしかったです。 ありがとう!

 


《今後の予定》

 

1997年2月11日(火)/3月20日(木)

 “ミサの典礼について”の黙想会 北浦和カトリック教会にて

 昨年は聖書に基づいてミサの黙想会をしました。イエスの行った“最後の晩餐”を祝うために教会は典礼を考えました。今回はミサ典礼に基づいての黙想会です。典礼を深く理解すればするほど私達がミサで与えている実在する大きな愛の世界が目の前に開けてきます。是非、予定に入れてください。当日お弁当持参です。

 

1997年5月3日〜5日

“聖書の旅”軽井沢の聖フランシスコ会の“山の家”にて

 今回は軽井沢を予定しています。中軽井沢駅の近くで、雑木林に囲まれた古い家ですが、自然に恵まれています。清々しい空気の中で、共に学び、語り…そして遊び(これはとにかく楽しいです)。聖書の旅は信者のためだけではなく、いろいろな面で疲れている人のためでもあります。子供のペースで、洗礼を受けていない人のペースで、いずれにしても自分のペースで参加できます。できれば家族そろって是非いらして下さい。

 


◆編集後記◆

 

■ジュリアーノさんのインタビューを待っている方々本当にごめんなさい。今回は載せることができませんでした。

■“聖書の旅”で様々の興味をひかれることに出会います。スケジュールの終りに、皆で分担して大掃除での一場面。Kちゃんはホウキを持って走り回っていて、それがY君の目のあたりに当ってしまいました。Y君は、泣きながら言いました。“今度は許してあげるけど、この次は、許してあげないかもしれません!”

■ある有名な文学者は、その著書の中で、日本を泥沼と表現した人もいます。この冊子で取り上げた手紙を読むと“希望”の香りがします。忘れられた土地ではなく“人間の希望や愛”のほのかな味がします。一人の人間のうちでも、社会でも…悲観より希望が、批判より愛が及ぶところとなりますように!

                        (田嶋 文)

 


発行者 MOPPの兄弟の友だち

発行所及び連絡先   聖ペトロ・パウロ労働宣教会(MOPP

3350013  埼玉県戸田市喜沢2222 青果荘

             TELFAX  0484459514 

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