きかよん 秋1997.11 No.11

ヨナ4・6
すると主なる神は、彼の苦痛を救うために、とうごまの木(きかよん)に命じて芽を出させた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、とうごまの木を大いに喜んだ。

 


 

私の妹である死に出会い

                      フィリップ

 

彼の住んでいた家の床の間の前に、私は座っている。その床の間の左側に彼の微笑んでいる写真が置いてある。その微笑みに、私は深く引き寄せられ、私のまなざしはその笑顔の中に沈んだ。

正月の休暇を共に過すよう私を誘ってくれた。その休暇の日々はすばらしかった。友人達を誘って、自分達で料理を作り、語り合い過す数時間。集まった人達が、それぞれ粉をこねたりのばしたりして、ピザを作り、或る時はスパゲッティーを作った。和室のテーブルの上には、きれいに並べられたグラス、器やフォーク。そして、すでに口を開けたワインの瓶が置かれていた。休む間もなく動いていたあなたの大きな体。そして、皆に話しかけた言葉とはじける笑い声。本当に楽しい日々があっという問に過ぎた。休暇も終わり、別れる時に私に言いました。「いつでも来て下さい。はやく来て下さい。」と。

もう2年が経った。この家にあなたはいないけれども、あなたの家も机もそのまま。死はあなたを変えた。私の前にあるのはあなたの微笑んでいる写真だけ。それを見ていると私に語りかけた声が頭をよぎる。「いつでも来て下さい。はやく来て下さい。」と。あなたが電話で“入院”すると伝えた時、私は集会ですぐに見舞いに行くことができなかった。医師の診断はひどいものだった。二人で電話で話した時、2週間後、見舞いに行くと決めた「すぐ来ます…。」と。あなたは私をはやる気持ちで待っていた。「はやく来て下さい……。」と。「彼はくるはずです。きっと来るはずです……。」とお見舞いに来た人に繰り返していた。約束の1週間前に電話した時、あなたの姉さんは、私にはやく来てくれるように懇願した。予定を変えて病院へ向かった。私が病院に着く、4時間前にあなたは息を引きとっていた。あなたと語り合って、聞いたり、笑ったり…、また、新たに教えられて…、お互いに好きなことを話し合って。この出会いは起らなかった。 私があなたのへやに入る前に、フランシスコが“私の妹”と呼んだ死が、私よりはやくあなたを訪れた…と、わかった。

今、あなたが住んだ家にいて、あなたの微笑んでいる写真を見て考える。あなたとこの家で語り合ったこと“死は私の妹?”そして、あなたはどう体験したのでしょうか。自然に考えると、敵のようなこと。自分の中に反発がある。それをどうして、“妹”といえるでしょうか? あなたの臨終の夜はひどかったと、看護婦さんは言っていた。誰かを待っていた?毎日、電話で話していた友人だったでしょうか?或いは、他の方でしょうか? 電話で話した時、体力がもどってくるのを待っていると私にはっきり言いました。苦痛と衰弱の中であなたは待っていた!忍耐できないはど待っていたし、出会いたかった!誰にでしょうか?友人を待っていた?そして、健康がもどることを?あなたは誰にでも、どこにいても話しかけるのが好きだった。電車に乗って、席に腰かけると、1分もたたないうちに、隣の人に話しかけ、ユーモアで、相手の顔に微笑みが出るのを喜び、うるさいほど騒いでいた。相手の興味をそそる話題を引き出す才能には、本当に尊敬を覚えていた。

死があなたの側に腰かけた時、電車の同乗者の時のように、少しずつ興味を示し、彼女に語りかけ始めたと思う。あなたに何も言わなかったかも知れない。けれどもあなただけがその新しい言葉に出会った。心、耳、口を持っていた。自分の暗闇、心の中に、人間の言葉が説明することができない秘密がある。その秘密こそ新しい出会いの場である。ジャン、あなたは聖なるところに入りました。あなただけ一人で入りました。そこは神秘な所。人間の言葉は存在しない。見舞いに来た友人にあなたは言いました。「神様はいつも新しい。神様は今は不在です。こちらに向かって来られるところです。」

あなたの人生の最後の時に、死に出会いながら、彼女に語りかけ、情熱を傾けました。語り尽くし、いっぱいになって満足した。その時、“死が私の妹”と呼びかけたと信じます。 私の死が妹であると、自然には私は認められません。今、彼の家にいて、その写真の顔をながめ、彼の死を思うにつけ、“妹なる死”のことを考えます。その微笑みを見てあなたの死もあなたの妹であったと、そしてあなたが信頼へと歩んだ道のりを思う。

 


・・・本当のつきあい。・・・、命に与えるもの。

〜ジュリアーノさんのインタビュー Part T〜

 

Q どこで生まれてどんな子供時代たったのでしようか?

 イタリアのヴェルミリオという村で、9人兄弟の7番目。

Q ヴェルミリオという名前の意味は何でしよう。

“朱”という意味。この村はトレンティーノという州の一番はしっこにある村で昔は第1次大戦のときオーストリアの国境にあるのでオーストリアが占領していた。戦争のときすへての村の人たちはウィーンの近くに捕囚されてたくさんの子供たちが死んだ。移住させられた人たちは一緒に生活していたからたくさん病気もあった。毎朝オーストリア人の警察は泣いている子供がいるか調べてつれていかれて死んだ。私のお母さんの兄弟5人も死んじゃった。父もある朝病気だったから、おじいちゃんは彼をかくして泣かないようにしたのでつれていかれなかった。とにかく、そこの村のいいところは森に囲まれて高い山に囲まれて夏もスキーできるくらいのところ。この谷の名前は“Valle di Sole”太陽の谷。天国のとげという名前、どういうところかわかる?まわりに高い山がたくさんある。3,600mの山…。わたしの子供の時代を考えるとすごく楽しかった。あそぶところがあって、高いところへいってエーデルワイス摘んで売ったりした。父よりもお金もうけたおぼえがある。エーデルワイス摘んで小さい束作って100リラで売るでしょ。そのとさ、エーデルワイス売って100リラもらって…そのときいろんなことばで外国人の観光客に「ワン、シガット」「アイネ、ボンボン」とか。いっぱいもらった。たばこすうようになった。もちろん父にももっていった。

 あとひとつおもしろいことは、山があって爆弾がいっぱい残っていたから…今も残っている…。これ爆発する時部分的にあちこちちらばるからそれを集めて何キロかになると売ってお金になる。時々爆発しなかった爆弾も見つけた。おぼえていることは一回それを投げて爆発しなかった。爆弾の中に銅の部分があって、これは高い。ふたを取って中味を分解して、そしてお金になる。でもそのとき爆発して死んじゃう人もいた。氷河から完全な形の第1次大戦の遺体が出てくる…私がいたときも4人出てきた。

 私の家族…や近くの子供たち、50人くらいでかくれんぼする。3人くらい鬼になって…待っている問人参ぬすんで食へながら待ってる…。

Q 村の小さい教会で、鐘を鳴らしていたずらをしたと聞いたけど…?

 私達の家の近くに小さい教会があって、村に火事がおきた時、ならしてボランティアの消防士のため…。時々私達はこの鐘を鳴らした…。(笑い…)近所のおじさんは、見はっていた。そして綱に届かないように高くした。でも、兄は塔に登って鳴らして…、おじさんがとんできて、下で待っていた。兄は屋根を伝わって逃げて、おりた。

Q 小学校時代はどうでしたか?

 小学校5年間、中学校はトレントヘ行った。中学校へ入るために試験があって、苦労した。オーストリアの教育制度だったので、長く勉強した。まだ義務教育ではなかったけど…。 あと、学校から帰って、父の仕事を手伝った。大きな木を切ったり、それは自慢だった。あと、ある神父は、私に神学校へ行くことを進めた。

Q その後どうしたの?

 私達の家族は引越してミラノの近くのヴァレーゼというところ…。そこは信者がとても少なかった。教会に行く人は少なかった。いろんなきっかけで、教会に行かない人達と知り合いになって、友達になって、共産党の人も。教会に反対する人達だけど、とてもおもしろい人達。司祭とそのことを話した。けど、その人達のために時間がないとか、興味がないとか言った。この村で一番強いグループは共産党の人達だった。イタリアの共産党はフランスとか、ヨーロッパの他の国とは違うけど…。神様や教会とかに全く興味ない人と思ったけど、彼らとつき合うと、互いに助け合ったり、人間的に豊かだったり。彼らとオープンにつき合うために教会は何もしないのはもったいないと思った。

Q その頃、共産党の人と教会の人達は離れていたの?

 そう絶対に教会に行かない!

Q 教会の立場でアプローチは?

 2つのブロックだった、互いに…。特に教会の方は残念ながら、この人達は失った人達と考えていた。…言わなかったけど。

Q 村の中で共産党員だとわかるとあまり近づかなかったの?

 共産党の人は、信者に対していたずらをすることもあった。でも、父の仕事の関係で村の人と知り合いになって、いい友達になった。神学校に戻って、責任者に、こういうことを話した。理解のある人だったので「これは大事なことですから、司祭になってそのことをやれば大変意味あること。あなたの望んでいることは、キリスト教と関係のない人とつきあうこと。難しい。しかし、司祭として信者のためにあたりまえに働かなければならない、違うことすると文句をいわれるし、司教も賛成しないかも知れないし…。これも難しい。そういう人達のために働くグループがあるかもしれない。」と。それでそういうグループを探した。イタリアでそういう働きもあったが…個人的だった。フランスで戦争中、大変な体験をした司祭たちがいた。ナチスのもとで強制労働をさせられて。捕囚され、神父であっても一般的な生活をさせられ、集団生活した。その体験で目覚めて、それまでへだたりがあって、世話をしてあげようと思ったが、強制労働に行った神父達は、帰ってから、仕事をして働いて普通の所に住んで生活することにした。その一人は、ジャック・レーヴ。私達のグループの創立者。このやり方に興味を持った人達の中に23人のイタリア人もいた。フランスの影響でやってみたけど、簡単なことではなかった。仕事をして戻ってきて、疲れて、食事や、祈りの時間も大変むずかしくて、何か月間で何人か、やめたり、前のやり方に戻ったり…。

Q ジュリアーノさんにとってどうだった?

 私は神学校で3年生で、あと2年間あったけど、責任者に話したら「あなたの希望にあうところかも知れません」というので、友達とスイスに聖ペトロパウロ労働宣教会(M.0.P.P)の本部があったので見に行った。冬だったので、雪も深く、車も動かなくなったので、スキーをして帰った。もう一度夏に行ったら、総長さんが1年位仕事をして、使命をたしかめてといった。私は会社で勤めたことがなかった。

Q だいたいM.0.P.Pに入るつもりだった?

 神学校でいろいろ考えた。神父になるとか…やめるとか。私の一番いい友達は、その時すごく危なかった。685月に学生がパリで学生運動をやって、イタリアは次の年69年だった。いろんな変化があった。革命みたいだった。何人もその時、仲間がやめたり、他のところへ行ったり…。

Q その時教会は?

 この運動でもっと本当のことを守ろうという動きがあった。この面ではよかった。でも長い間続いたことを見直すのは大変だった。子供を生むみたいな苦しみだった。私達にとっても、責任者にとっても。その時に私は選択した。会社に勤めなくては。その頃、会社を探すのは大変だった。勉強した人は特に。やっと会社をみつけた。車のエンジンのプラグを作る仕事。3交代で。機械に従って、毎日8時間で8,600個のプラグを取って、機械に入れて、2つのところをくっつけて…。このままだったら、死にそうだった。幸い、スキーに行って足をけがをして、1ヶ月休んだ。100人位の若い労働者の寮に入っていたので、たくさんの友達ができ、映画のサークルを作ったりしておもしろかった。看護婦の寮が隣にあって、パーティーや、祝いの計画をして、活動した。リーダーにさせられた。神学院での教育があったけど、祈るのは大変。一人になって、つかれてて、3交代の労働で疲れて…。全部やめたいと思った。それに足を骨折して。少し渇いていた。

Q M.0.P.Pに行った? 神父になるか、修道士になるか、決めたの?

 ずっと神学校にいたら神父になったけど、本当に生々しいことを見たので、世間に向いた人も必要と思った。福音を読む、イエズスは離れた人とか罪人の中に入ったでしょ。一緒に座って話して…。私は見失った者のために来たと言った。信者じゃない人の中に自然に生活していろんな新鮮なことを感じる。探している人とか、人間的な要素を感じる。信者は自分の成長をしっかりしているはずと思うでしょうけど、私の感じ方は信者ではない人に向いていると思う。だから、教会を指導するのは大変だったかも知れない。

Q ジュリアーノさんにとって信者じゃない人とか、共産党の人に出会ったことが大きいですね。

 あとは魅力がある。その人達の中に、神様認めないのに、その行いに助け合いや、連帯がある。彼らは私が教会の人であるのに裁かない。何も言わなかったけど、一緒にいて安心していたように思う。信者でない人は私に必要。互いに相手を必要と思います。違う考えとかで私の信仰もきよめられる。批判されることもある。この批判がないと簡単に信じることになる。だからもっと正しくなるために、深くなるために…、私を助けるわけです。共に食べたりして、死ぬこととか死んでからとか、だれでも心にあるわけです。ある人は、私に言った。「私はあなたのような信仰望みたいけどできない。」と。だから、一緒にいるだけで安心する。その連帯!ある程度、聖書の旅にあること。それに参加したある人は、洗礼のこととか考えなくても、一緒にいることで、信じないこともできるわけです。彼のおかげで、私の恵みも感じる。3日間ぐらい一緒に暮らすことで彼にとって喜びを感じる。そのことがあるために、本当の出会いが必要。本当の正しい出会い。同じ所に過して食事を一緒にして、準備して…。本当のつき合いがあればなんとかなると感じる。なぜ、人間はみんな命をもっている。命は自分のおかげではなく、神様からいただいたものと感じる。信じない者でも命をもっているわけです。この命、別にたのんではない。いただいたもの。いただいたので、この命、分かち合うときに大きなものになる。信仰は言わないかも知れないけど、この命をはげます、強める、たのしめることは神を喜ばすこと。かれは命の泉なので……。もっと言えるのです。命があるところ、愛があるところ。あるいは、愛が必要としているところ。信じている人と信じてない人は、この命と愛に基づいたつきあいができれば、豊かな人になるではないか……?

 


この世で美しいものは・・・

 いと高き方が大さな声で−人ごとを言れれました。

「庭で、ひそかに僕と話している小さな子より美しいものなんて、この世にないさ。彼は質問して、自分で答えているよ。(その方が確実だからね。)自分の主である神に向かって、大まじめに、自分のつらい事を語りかける幼い子。彼は自分で、神のかわりに慰めの言葉を言うんだ。夜、寝る前に、祈りをとなえながら、眠りこんでしまう小さな子よりも美しいものは、この世にないさ。くどいようだけど、もう一度言わせてもらおう。地上でこれ以上に美しいものは見たことないよ。」

 もちろん、美しいものは僕はたくさん見てきたよ。生涯、愛に燃え続けた心。炎のように燃える心!でもやっぱり僕に語りかけながら、眠ってしまう小さな子よりも美しいものはないね。僕の息子イ工スが弟子達に何度か言ったことに賛成だ。

『神の国は、このような者たちのものである。(はっきり言っておく。子供のように神を受け入れる人でなければ、けっして、そこに入ることはできない。』               マルコ10−14〜15

                        (作者不詳)

 


★フィリツプさんの手紙より

 皆さんお元気ですか。

 紅葉はゆっくり来ている。フリブールにいるMOPPの兄弟達は喜びで温かい心で迎えてくれた。さて十日間前からスイスにある小さな町に着いた。この所で若い兄弟達四人が神学を勉強している。私達は三階建ての家に生活している。一人はフランス人で四年前にここに来た。エリックという。二人はブラジルの方で、フランス語がとても上手で二年目になった。彼らは友達か多くてこの寒い町によく慣れて来た。レナートとジャンという。四人目、ドイツ人で日曜日フリブールに着いたばっかり。彼は私達と一緒に生活しながらMOPPグループがどういう情熱を持っているかを見に来た。ウルリッヒという。

 今の生活もとても面白い。そちらから手紙が色々とどいた。どうも有り難とう。お元気で、またニュースを送ると思う。                 (1024日)

 


★ルイさんの手紙より

 …ブラジルの私の生活は忙しいです。今は薬に使う草の一番いい時ですので、薬を造る時期になります。その草を集め、洗い、それから色をつけるためにアルコールに入れて、最後はできたものからいろいろな薬を造ります。今は大活躍です。寒い冬が終わり、春になっても寒さが続いているので、かぜ薬をたくさん造らなければならない。

 水曜日は診察の日になっていて、朝から大勢の人が来る。20人、30人まで。私達の家が狭くて、10人以上入れないので、他の人は外で待っている。一人一人の健康の状態を聞いてから、私は食事のバランスとか、寝る時間を取ることとかについて説明します。普通は医者さんはそういうことしない。それから一人一人に薬を配ってから、お御堂に行きます。一緒にその日の福音書の箇所を読みます。私は、毎日福音書を読むこと、それからこの福音書の箇所から一節を暗記することを勧めます。自然に近づくと、そして神様に親しくなると、ある人が自分の生き方を変えて医者に頼る必要はなくなる。

 でも人間の意思は何とも弱いものです。私が説明することは何人もわかっていても、何人もそれを体験したことがあっても、実行する勇気がない。私も反省させられます。私達の生活の中で、私達のせいで、うまくいかないことがあっても、それを変える力がない。

 さて薬関係の活動は非常にやりがいのある活動ですけれど、あんまりお金にならないので、フランス語を教えることも続けます。生徒さんの中で、23人はうまくフランス語ができますので、授業中に会話ができる。時々信仰についての話も出てきます。生徒のひとりが日本料理が好きで、ここですごく値段の高い寿司とか刺身とかてんぷら、それからお酒も時々私にプレゼントしてくれます。5年間ぐらい日本の料理を昧わう機会がなかったので、今いただく時にすごく感謝します。それで他の二人の生徒はワインが好きで、毎回ワインを持ってきます。神様が私の弱点までめんどうみてる気がします。

 個人の教え以外は今年学校で教えている。学校の中でフランス語の授業と日本語の授業を担当します。今まで日本人の方がその授業を担当しましたけれど、生徒さんが少ないので、彼は日本に帰りました。他の人がいなかったので、私が頼まれました。それで毎週月曜日の夕方4時から6時までフランス語の授業が終わってから、6時半から8時半まで日本語を教えています。生徒は4人だけで、そのうら3人はゼロから始まります。いまシスターコルベと一緒に教科書を造っているところです。

 さてモップの兄弟になりたい3人の若者がよくがんばっています。二人はシーツを作っている会社に勤めていて、三人目は高校3年生です。彼らが貧しい生活の中でも祈りにも、福音を伝える活動にも熱心さがあります。私は彼らを見て感心し、それから私の励みにもなります。

 


MOPP聖書の旅

                   在原 輝代

 MOPPの木曜日の夕食会に出ていたのは、92年頃だったと思う。今年の春なつかしくなり、行ってみたところ聖書の旅に誘われて、ゴールデンウィークは空いていたので行くことにした。

 軽井沢のフランシスコ会の山荘に着くと、家族連れが多いのに驚いた。子供がたくさんいて、外で遊んでいる。まるで教会学校のキャンプのような感じで、ふだん子供と接していない私には新鮮に見えた。まず、自己紹介。それから、ヨハネ1章の話があった。ジュリアーノさんが、神が実在することを理論的に話された。「言は神と共にあり、言の内に命があり、命は人間を照らす光であり、光は暗闇の中で輝いている。天地創造の時、はじめに、光があった」と。その後いくつかの課題をもらって、三人ずつくらいのグループにわかれて分ちあいをした。

 2日日は、ハイキングに出かけた。鳥の鳴き声に耳をすませ、つくば教会の女の子(女子大生)と時々話をしながら歩いた。前方は、日本人男性と結婚されたイタリア人の奥さんが歩いていた。滝のある所に来ると、子供達はすでに着いていて、犬もまじえ大騒ぎ。しばらくたって、昼食が到着し、おいしく、食べた。私は鳥を呼ぶ機具を持ってきていて、それをためしてみたが、鳥はあまりこなかった。五月とはいえまだ寒かったからか?

 3日目。再び外に出て、聖書を読んだ。箇所はマカバイ記二・7章。7人兄弟の殉教のところである。子供たちが拷問にかかり、次々に殺されているのに母親はなぜ耐えたのか。「わたしは、お前たちがどのようにしてわたしの胎に宿ったのか知らない。お前たちに霊と命を恵んだのでもなく、わたしがお前たち一人一人の肢体を組み合わせたのでもない。人の出生をつかさどり、あらゆるものに生命を与える世界の造り主は、憐れみをもって、霊と命を再びお前たちに与えてくださる。それは今ここで、お前たちが主の律法のためには、命をも惜しまないからだ。」(2223節)ジュリアーノさんがまとめをしてくださり、真剣にお話しされ、感動して聞いた。

 子供たちが天地創造の劇をするのを見たり、一緒にゲームをしたのは楽しかった。さすがに3日たつと、子供の名前と顔がだいたいわかってくる。一人一人の個性と、それぞれが持つすばらしい魅力も見えてきた。その輝きの中で私も命の休暇をした。

 


《お知らせと報告》

                       芦沢 佳与

 

 今日はばか者、いえいえ若者の集まりの紹介です。MOPPの家でジュリアーノと共に毎月第4土曜日の夕方4時半頃からのんびり集まり、先ずはお茶をゆっくりいただきながら近況報告など、そして5時頃になってやっと本題の聖書の勉強会が始まります。今年の1月からマルコの福音書を少しづつ読み進めています。ゆっくりと読んだ後で、それぞれの感じたことや解らないことを分かち合ったり、物語を劇のように見立てたりもします。役割を演じることによって深くそして自分の内に聖書の箇所が響き、新しい発見があります。

 まあ、紹介文は短い文章でと編集長様から言われておりますので全部は伝えられませんかとにかく一度ご自分の目でどんなことをやっているのか確認しに顔を出して見てください。そして、出来たら何回か続けて来てみてください。分かち合いを通じて意外に同じ悩みを持っている人と話し合えるかも知れませんよ。

 ちなみに、勉強の後で短いタの祈りをしてから食事をします。まあ、だいたいこの場での方がみんな元気になって(おいしい食事とワインのせいかしら?!)いろいろな話題も出てきますので勉強という言葉にアレルギーのある方でも大丈夫ですよ。

 この集まりで皆さんとお合い出来るのを楽しみにしています。

 

「典礼と生け花」

                       奈須 英子

私たちのグループでは、年に23回集まって、福音を味わいそれを生け花で表すという勉強会を開いています。この集まりは、4年前、フランスからロランさんを迎えて「典礼と生け花」の講習会か開かれたあと、教会でお花を生けている人や、典礼に興味がある人たちで続けてきました。今までの会場は北浦和、上福岡、小岩、浅草、所沢教会、昨年は−泊で裾野の聖心黙想の家、などです。

毎回、レミさんと聖書を研究し、黙想してそれからそれぞれ用意してきたお花を生けます。初心者は、午前中お花の基礎を学ぶこともできます。来年3月にはまた、ロランさんが講習会を開いてださる予定です。興味のある方はレミさんに連絡してください。

 

1997年5月3日(土)〜5月5日(月)

 軽井沢の聖フランシスコ山の家で、大人と子供と合わせて55名の人達が、自然に囲まれた家の中で、嬉々として過しました。聖書のテーマは天地創造のこと。子供達が、その内容を群舞として見せてくれた。本当にすばらしかった。ビデオに録画できなかったのは残念!それから国際結婚をされた2組の家族の人達の参加もあり、レクリエーションでは、すべて忘れて興奮のるつぼ。皆、笑顔で別れをおしみ、それぞれの生活に帰りました。

1997年6月29日(日)4時から

 聖ペトロバウロの祝日にあたり、喜沢二丁目の町内会館を借りて祝いをしました。

 遠方からかけつけてくれた方々も含め、80人程の人が語りあい、数時間を楽しく過しました。べトナムの春巻は本当においしかった。それから、この日のために演奏をして下さった折山ファミリー、本当にありかとう。ケンちゃんのバイオリンも、皆、聞さ入りました。この日に当たり、M.0.P.Pが集めて下さった人々と共に、その存在が、この地で実ることを祈りました。

1997年9月10日

 フィリップさんは安息年のためスイスに出発しました。

 フィリップさんは1年間不在です。10年間お疲れさまでした。M.0.P.Pの神学生と共に過しています。実り多いことを祈ります。

1997年10月10日(金)〜12日(月)“聖書の旅”

 春に続いて、今回も軽井沢の聖フランシスコ山の家で行なわれました。2歳から初老の人まで50数名と犬3匹が、交通渋滞にもめげず遅ればせながら集まり、天候に恵まれ、木々の色どりに包まれ、3日間、楽しく過しました。新しい参加者も17名程でした。ジュリアーノさんの50歳の誕生を遅れてしまいましたが、皆で祝いました。

 フィリップさんの不在で、クラウディオ神父さんに来ていただき、ミサを行うことかできました。とても感慨深いミサでした。ありがとうごぎいました。

 数年ぶりに参加した人もありました。まだまだ至らない点もあるので、皆で意見を出し合って参加者が喜んでもらえるものになれますように…。

 

 


トレンティーノの山々でのヴァカンス

  822日から29日までの一週間、35人程の人達(その内子供と青少年は12人・日本人11人)がジュリアーノの故郷のヴェミリオで特別なヴァカンスを過しました。我らの コック、カルロがおいしい食事を準備してくれている間、我々は、道を散策し、またみことばの森も散策しました。2人のかわいい女の子の母、テレーズの便りです。

 

前 略

 パンフレットには「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」(ヨハネ627)と書かれてありました。その食べ物は、私にとって最も必要なものだと思ったので、リーナの他は知らない人達ばかりだったけど参加することを決心しました。残念ながら、この休暇はもう終わってしまいましたが、「行ってよかった」と言えます。私の中に平安が残ったのがその印です。私自身は大したことはしなかったのです。

長い講話を聞いたわけでも、何時問も黙想したわけでも、長く祈ったわけでもなかったけれど、私達が、一緒にいたことは私の命を養うものだったことは確かです。

それは、皆が受け入れてくれたこと。皆の一人一人の微笑み、挨拶、優しく気をくばってくれたこと。ジュリアーノさんが情熱を持って聖書を説明し、いろいろな箇所に光を与えてくれたこと。こういうことすべてによって、私の中に確かに平安が入ったのです。この平安が、ずっと長く保たれることを願います。それは、命の糧であるエラカリスティア(ご聖体)であり、みことばによります。

 今、一人一人のことを思い出したいです。一番小さかったタクちゃんが、この一過間のヴァカンスの最も印象的な存在だったと思います。おばあちゃんの後に恥かしいそうに隠れていて、他の人を見るのを恐れていたタクちゃんでしたが、最後の方では、誰より大きな声で、主への賛美を歌っていました。

 皆さんありがとう。そして、又はやく再開しましょう。

 アリヴェデルチ!

              マリア・テレーザ・バック

 


 

ひ と 言

★「エウカリスティア」の本が、ドン・ボスコ社から再版されました。

小型になり読み易くなりました。また、沢田神父さんの助言もあり、より良くなりました。是非、ご一読下さい。

★さらに、一頁のフィリップさんが語っている人はフランシスコ会の神父さんです。

1962年に来日して以来、修道院ではなく、教会でもなく、民家を借りて住み、生活の中で出会う人々と一人の人間としてつき合い、対等に出会うという人生を送った人です。死に至るまで……。2年前に、フランスのヴェルサイユの病院で、休暇中に亡くなりました。

  中公新書 「ベル神父 街を行く」

   近代文芸社「ベル神父のフランス食物誌」

       「ベル神父のフランス住居誌」

と出版物もあります。こちらも読んでみて下さい。

 


 

《今後の予定》

1997111日 ジュリアーノさんのお姉さんが来日

 イコン作家のリナさんが来日。講演会等、同封の催しがあります。イコンのグループを指導したりもします。イコンは教会で大切にされた伝統的な宗教画です。

 

1213日(士)お父さん達の泊り会

    14日(日)子供達のクリスマスパーティー

  13日の夜にお父さん達の(犬も共に)集まり。次の日の午後、子供達はクリスマスパーティーを予定しています。お父さんは、飲んで遅くなっても子供達の歓声で笑顔になるでしょう。

 

1998211日(水)建国記念日930am

     321日(士)春分の日500pm

 北浦和のカトリック教会で、一日の黙想会を予定しています。テーマはみ言葉の祭儀。ユウカリスチャ(ミサの神秘)にもっと深く入るために是非参加して下さい。

 

199853日(日)〜5日(火)聖書の旅

 軽井沢の聖フランシスコ会山の家にて、3度ですけど、皆の意見で決まりました。是非、今から予定に入れて新しい仲間を誘って下さい。


 

★編集後記★

○ジュリアーノさんのインタビューを載せることができました。真理ちゃん、本当にありがとう。とてもおもしろかったので、Part1Part2にしました。Part2もどうぞお楽しみに。Part1はジュリアーノさんの青年時代まで。Part2は日本でのジュリアーノさんのことが載ります。お楽しみに。そして、エウカリスティアの再版が出版されました。

○国を越えて、歴史を越えている何かが確かにあります。人類というか生命の上に刻印されている何か。人間はお互いの違いにはすごく気付くし、その重さでいっぱいになって見ることができなくなってしまう。生命を動かす力をほんの少しでも明らかに見ることかできるようになりたいものです。

○とりあえず、日々の生活の中で、短い生涯の中で、命の歌をせいいっぱい歌いましょう。

○切手代を送って下さった方ありがとうございました。そういう方が増えるといいのですが…。

                       (田嶋 文)

 


発行者 MOPPの兄弟の友だち

発行所及び連絡先   聖ペトロ・パウロ労働宣教会(MOPP

3350013  埼玉県戸田市喜沢2222 青果荘

             TELFAX  0484459514 

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