きかよん
夏1999.6
/ No.13
| ヨナ4・6 すると主なる神は、彼の苦痛を救うために、とうごまの木(きかよん)に命じて芽を出させた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、とうごまの木を大いに喜んだ。 |

聖ペテロ・パウロ労働宣教会の創立者
「ジャック・レーヴ」
神の沖仲仕
わたしたちの聖ペテロ・パウロ労働宣教会の創立者、ジャック・レーヴは、1999年2月13日、90才で神の元に帰りました。
彼は、1908年8月31日フランスのクレモンフェランで、富豪の一人息子として生まれ、わがままに育ちました。少年期をコート・ダジュール海岸沿いのニースで過ごしましたが、その頃は宗教的なことには一切関心を持たず、快楽を求めたほんぽうな生活をしていました。彼自身、『わたしがゆるぎない確信を持っている神』という自伝のなかで次のように語っています。「わたしの両親はとても金持ちだったので、カンヌやニースで友だちと一緒にカジノで遊び、パーティーに通ったり、贅沢な暮らしをすることだけを考えていました。そして父は博打に凝り、わたしは11,12才の頃から精神も五感も快楽の虜になっていました。長い間このような生活をした者だけがわかると思うのですが、快楽の虜になると人は常に自分の利益になることを求めるので、誰かを愛するということが不可能になります。そしてそのことをわたしは心の深いところでは嫌悪していたのですが、自分にとっては鎖に繋がれているようで、その鎖を断ちきることはできませんでした。このようなニースでのカジノに通うような生活の中で、わたしは成長しました。
宮殿のような立派な家々の晩餐会などに通い、わたしは13才ですでに燕尾服を両親に仕立ててもらったのです。そのような堕落した道を歩んでいたので、わたしは自分の中に大きな孤独と苦悩を感じていました。しかしそのような体験の中で、自分にはそこから出るすべはないと感じていました。」
彼は24才の時結核に罹り、スイスの病院に入院することになりました。「わたしは自分にたいして嫌悪を感じていました。人生に対し、またこの快楽を求めるということ自体にも嫌悪を感じていました。この休息を待ち望んでいた、とも言えるほどでした。」
そしてアルプスの光と沈黙のなかで神の慈しみがジャックに顕わされたのです。彼は一日の大半をベッドで過ごし、もの思いに耽っていました。ある日、雪が降ってくるのをベッドから見ました。「わたしはベッドの上から飛び起きました。その雪の一片を溶ける前に手にとり、それらがほとんど完璧な調和のなかで、それぞれが独立した形でつくられているのを見ることができました。
そして世界は混沌から生まれたのではなく、それは一人のすばらしい芸術家の作品であることを感じました。この雪片の一つ一つに、わたしはこの偉大な芸術家の知性と美を発見しました。この一瞬の間しか存在しない一つ一つの雪片をも満たしている偉大な存在を感じました。
これが≪神が在る≫ということを感じる、わたしにとって最初の体験でした。
しかし、わたしたちの生活の中に現わされる≪イエス・キリストのからだ≫と神との出会いに達する道は、まだ長く、多くの障害を乗り越えねばなりませんでした。
わたしは孤独の部屋で福音書を読み続けました。その中のキリストはわたしをぐっとつかんでいました。彼は人間が話すようには語りませんでした。まだ神の存在について確信はもっていなかったのですが、わたしは彼に祈り始めました。容易なことではなかったし、精神的にも肉体的にも何度かつまずきながらも、少しづつ、信仰の光というものが、自分のなかに沸き上がってきました。そして時にはことばに言い尽くせない喜びにわたしは満たされました。今まで光を見ることのなかった盲人が突然光を見たような喜び、孤児が両親に出会ったような、乞食が宇宙の主である偉大な王の宮殿に招かれたような喜びでした。」
このような発見というのは、1932年の春にすべて起きました。
一千年以上も前からある、スイスの山々に囲まれたトラピスト会の修道院に数日間滞在したことによって、彼は教会の隠された聖なる顔を発見しました。聖木曜日のミサの時「取って食べなさい。これはわたしの体。取って飲みなさい。これはわたしの血。これをわたしの記念のために行いなさい」ということばを聞きました。
「すべてのものに存在しておられる神、雪の一片からもっとも小さい草の中にさえ存在しておられる神を発見し、≪この世に来られた神≫であるキリストの存在を発見した後、このエウカリスティア(ミサ聖餐)をまもり続ける教会を通して、キリストがわたしたちの中に居てくださるということを発見しました。そして最後の晩餐の時、イエスがご自分の教会に託されたエウカリスティアの存在が、現実の教会にあるスキャンダルな点よりも、わたしにとって果てしなく大切であると感じられるようになりました。
そしてまもなく、聖アウグスティヌスが語っていたような体験を、自分もするようになりました。『わが神よ、あなたはあなたの為にわたしたちを創られました。そしてわたしたちの心はあなたの内に休むまで、平安を得られません!』」
「カジノ・メディテッラネーのホールに美しい女友だちと行っても、すべてが気に入りませんでした。自分自身を嫌悪していたから。そして金とかセックスがその人の人生に満足を与えることができない、と思われました」。
このようにして、27才で洗礼を受けたのち、神の美しさを求めるため、また彼の過去の人生のように無意味さの虜になって生きている人たち、そして天と地を創造する前からわたしたちを選び出し、愛し続けている方を「知らないで」生きている人たちに、この神のすばらしさを伝えたいという思いに駆られ、ドミニコ会に入会しました。
1941年、33才の時 −彼は2年前から司祭になっていました− 港で働く人々の経済的社会的な状況を調査する為にマルセイユに派遣されました。しかし彼はこのような人々を深く理解する唯一の方法は、彼らと共に、彼らと同じ生活をし、彼らと運命を共にし、彼らといっしょに働き、その貧しい地域の家に住むしかないということがすぐに分かりました。その為数週間このような生活をしようと思っていました。しかしこの生活は12年続くことになったのです!
日雇い沖仲仕として雇われ、船から荷物を降ろす仕事に携わりました。百キロの小麦粉の袋を背負うことができなかったので、炭の運搬のほうに回されました。仕事を始めた最初の日、まだ家もなかったので、ドミニコ会の修道院に帰りました。しかし門番は彼が真っ黒けに汚れていたので彼だと判らず、施しをして門を閉めました。
1954年、ヴァチカンは『労働司祭』を中止するように決定しました。これはジャックにとって、人生でもっとも大きな辛い試練でした。命令に従い、仕事から離れたけれど、労働者たちに福音を伝えるという務めはあきらめるつもりはありませんでした。
次の年、1955年には早くも新しく聖ペテロ・パウロ労働宣教会(MOPP)を創立し、その会の人々と共に、神を知らない人たちが最も多くいる『労働者の世界』に福音をもたらす仕事を続けようとしました。このピラミッドの最底辺にいる工場労働者からはじめて、すべての人々に、ピラミッドの頂点にいる人々にも、達することができることをジャックは信じました。
1965年、MOPPは教会から正式に教区付けの司牧活動機関として認定を受け、その会員は福音者(福音を告げ知らせる者)と認められました。その頃、最初はトゥルーズ、そしてサハラ(油田ボウリングの技術者といっしょに働く)、次にブラジルのサンパウロで、3,4人の小さなグループで活動を開始しました。ジャック自身もサンパウロに5年間滞在することになりました。その間、生活の中で兄弟愛を実践し、素朴なことばでしかも正しくキリスト教の秘儀を伝えることができるようなキリスト者を2年間で養成する学校をつくることを考え始めました。その為にジャックは1969年ヨーロッパに戻り、スイスのフリブールに『信仰の学校』を創立しました。
その後、MOPPは小人数のメンバーからなる共同体での生活を続けました。
パリ、モントリオール、東京、サルヴァドール・デ・バヒア(ブラジル)、モスクワ、ミラノ、ベルリンでグループが活動を始めました。養成センターはブラジルのクリティーバとスイスのフリブールです。
![]() |
「知らないことばの国々でわたしは生活しました。でも道の名前を読み、その町の地図を見ながら迷子にならないですみました。
スラブ系ギリシャ系の国々ではアルファベットがローマ字でなかったので、もっと複雑でした。そしてわたしは小さな子供が学校で初めて字を習い、解読するようなことをしなければなりませんでした。 けれど日本では!ああ!コカコーラの宣伝の他は、わたしにとっては何も理解できませんでした。手を引いてくれる者もなく、迷子になった子供のようでした」 |
1981年、ジャックは『信仰の学校』の指導をする仕事を辞め、「出会った時から一度も追求することを止めなかった神」との「顔と顔をあわせた出会い」の準備をするために、静寂な場所に隠遁することを決意します。
ジャックが好きなことばがありました。『信じるとは、イエスについて知識や考えを持っているということではなく、イエスが我々のなかに入ってこられることをゆるすことです』
晩年、このようなことも言っていました。「わたしはもう1年、1年を贈り物として捉えられる歳になりました。神との出会いが近づいたという考えは、わたしの魂がいつも感じていることです。あと1、2年…? すべての人がそうであるように、わたしも自分の死に対して『はい』と言わねばなりません。そしてこの『はい』が言えるような気がします。けれどそれはどういうことを意味しているのでしょう。病気、体が弱っていくこと、苦しみ、臨終、墓に葬られること、そういうことに関しては想像できます。わたし自身病気であったこともあるし、年寄りとも知り合ったし、死にゆく人を看取ったし、悲しんでいる彼らと共に泣きました。それらすべてをわたしは想像することができます。けれどわたしにとって『ジャックは息を引き取った』と言われるその時とは…?
幼きイエスのテレジアや他の多くのキリスト者と共に、わたしに死が訪れた時『わたしは死なない。命のなかに入る』と言うことができたら、と思います。死の時は謙虚であること、そして勇気をもつこと、そして父たる神のやさしさ、わたしの為に流されたイエスの血に信頼をおくことが大切です。『死に直面する時を、自分のすべてを捧げて生きること』。
そのあとは?そのあとは、我が神との出会い!……。ことばでは言い尽くせないことは分かっています。ただ目の見えない人の手を取って導くように『目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神はご自分を愛する者たちに準備された』(コリント人への手紙1、2章9節)と言うことができるのみです。
ひとつの愛がわたしを待っています。聖書の最後のことば、無限のことばを、もうすぐわたしの最大の驚きになるであろう、そのことばを、今から口ずさみながら。
『わたしの目からすべての涙を取り去ってくださる。
死はもう存在しない。
弔いはもうなく、叫び声も苦しみも、
このような苦悶はもう終わっている。
夜はない。
彼はわたしに言うだろう。
<ほら、わたしはすべてのものを新しくする。
書き記せ。このようなことばは真であり、
確かである。
わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる>
マラナタ、そうです。
イエス・キリスト、来て下さい!』
(黙示緑21章と22章から引用)」
![]() |
1981年5月21日フイリップさんの司祭叙階式に来日した時、戸田のモップのアパートの前で | |||||||||
愛するジャック。
今、わたしたちの神の光の中にあなたがいることを信じます。「神の栄光とは、生きている人、命を得ている人。人間にとって命とは神を見ること」と聖イレネウスは言っています。
あなたの神の栄光であるジャック、今、彼の光の中に休み、御顔の麗しさの中に喜び、彼と彼の聖人たちと共に緑の草が茂る庭に、その聖なる住まいの水の畔に喜び合ってください!
わたしたち日本グループもMOPPの責任者であるニコと共に、
我々の心の奥底から感謝の言葉を述べたいと思います。
愛するジャック。
このあなたの最後の旅に同伴するには、あまりにも遠いところにわたしたちはいます。
けれどMOPPの兄弟の中で、すでにそちらに行っている者も多いです。
あなたがあれほど愛した日本から、わたしたちも大きな≪ありがとう≫を言いたいです。今ここにいる、またいないすべての兄弟たちと一緒に、大きなありがとうと一つの祈りを。
ジャック、ありがとう!
あなたは無神論、無関心、また神の秘儀を知らない、ということは、今もうひとつの1000年期を終えようとしているこの大都会に住んでいる多くの人々だけの持つ特徴でないということを、教えてくれました。これらは、すべての人種、国々の人々を深く傷つけ、苦しませる傷です。人間が、人間として本来の召命に答えられないのです。
ジャック、ありがとう!
あなたは福音が、復活したイエスのことばが、この傷から癒すことをわたしたちに発見させてくれました。このことばが声高らかに、強く、忍耐を持って、そして霊から来る怯むことのない力強さを持って告げ知らされるときに。
わたしたちは見ました。貧しい人たちが立ち上がるのを、富める人々がその富を分かち合うのを。心も知性も一人一人に語りかける神の光に自分を明け渡すのを。
ジャック、ありがとう!
あなたはわたしたちがグループで暮らすことを勧めました。グループとして暮らすことは容易ではありません。
家族の生活と同じように、日々一人一人の兄弟の欠点とか言動に触れて、生きなければなりません。あなたはわたしたちのことを小さい共同体と呼んでくれていました。
しかし共同生活は真を持って福音を生きることを、自分のプロジェクトよりも、わたしたちのカを越えて、唯一必要なこととして、神の愛を生きることを義務付けます。
聖霊にすべてを委ねて!
ジャック、ありがとう!
わたしたちが様々な文化や国々の人々と一緒に暮らし、彼らの仕事や心配事も共にし、そして彼らのことばで、彼ら自身の文化の中で、みことばを告げ報せるように導いてくれたことを感謝します。
ジャック、ありがとう!
聖ペテロを通じて、わたしたちに教会を愛し、その中に吹く聖霊の声を聞き、教会に結ばれていることの大切さを教えてくれたことを感謝します。その中にはいろいろな問題もあるけれど、それを乗り越えて。
ありがとう、ジャック!
主イエスが彼の父の方に引き寄せるために来てくれた、その対象となる異教徒の人々、外にいる人々への聖パウロの情熱を、わたしたちに伝えてくれたことを感謝します。わたしたちもその人々と共にこう言うことができます。「我々の間には、人間の目から見て知恵のある者、力ある者、尊い者はそれほどいません。この世にとって愚かな者と映る者を神はお選びになったのです。」(コリントの信徒への手紙1の2章26、27節)
ジャック!
「あなたの主の喜びの中に入りなさい。」(マタイ25章1節)
あなたの心は主があなたのために用意された喜びを受け入れ、理解するにはあまりにも小さいです。
もはやあなた自身が、あなたのすべてが、神の喜びのなかに入ったのです。
愛するジャック!
あなたの流浪の旅の中で、あなたはわたしたちの一人一人にとって父でした。今、すべての人の顔を輝かせる方にとりなしを捧げてくれる、わたしたちの兄弟であってください。
ニコ・マルケッリ(MOPPの総長)
フイリップ・エネビック、
ジュリアーノ・デルペーロ(補佐)
レナート・リベイロ(顧問)
1999年2月15日 戸田にて
![]() |
引退した後、ジャック・レーブが住んでいた修道院の院長とフリブールの信仰の学校の校長は、ジャックの遺体を白い布でおおい、そのまま葬った。 |
MOPPのトロワの「集まり」に参加して
昨年8月13日から16日まで、フランスのトロワで、MOPPの兄弟たちの総会の後、この日程でフランス、イタリア、ロシアそして日本からのMOPPの知人たちの集まりが設けられ、日本からも7人が参加できました。資金的な準備も含めて春頃から参加者を募り、多くの方々の協力によって、7人の人が参加できたことは、日本にMOPPの兄弟たちが住み続けていたことによるのであり、また参加した私たちにとっても、彼らが日本にいる意味を体験できたことは意義深かったと思います。
その総会に出席して下さったノバラ(Novara)の司教様の話にも心をうたれました。「……クリスチャンとは美しいことです……」とおっしゃったのですが、その時深い感銘を受け、日本に帰ってそれを考えてみました。日本で、素直にそのように表現しても通じないところがあるように思えたのですが私だけでしょうか。とにかく、その旅の参加者たちの声にどうぞ耳を傾けて下さい。
MOPPコンベニオンに参加して
藤内
久男
私たちの旅はフランスで行われるMOPPのコンベニオンに参加することが目的だったが、旅そのもの、出会いそのものが私にとっては価値のあるものだった。旅で出会った人たちのやさしさ、パリから特急で2時間程の小さな町にある聖ベルナデッタの教会に向かう途中で偶然お会いした修道会のシスター(シスターからゆっくり聖ベルナデッタの生涯と生き様を説明頂いた)、美しいモザイク模様を描きながら広がる畑など今でも豊かに記憶に残っている。コミュニケーションが十分にできたら、もっとすばらしかったでしょうが。残念です。
労働宣教会のメンバーはフランスを始めスイス、イタリア、ドイツ、ロシア、カナダ、ブラジル、ベトナム、日本等の国々で父の愛を伝えている。各人各様で活動をしており、皆いい顔をしている。特にブラジルの兄弟たちは若く(20代?)、とても人懐っこい。彼らの笑い顔を今も忘れられない。心の豊かな国を感じた。
コンベニオンには50人ほどが集まったが、自分たちの活動のプレゼンテーションやいくつかのグループに分かれての熱心な討議、ロシアからやってきた兄弟と二人の女性は共産党時代の抑圧の中でも信仰を守った姿や不安定なロシア社会の現状等の報告等、日本のメディアだけではわからない遠い世界の話が身近な問題であるように思われた。
日本だけではなく、どの国にも若者の教会離れはあるようだ。MOPPの家のそばのパリ郊外にある教会のミサに行った。いらっしゃる方は皆お年よりばかりだった。
フランスのミサは非常に美しかった。特に歌がすばらしい。
ところで、コンベニオンはトロワの町から車で15分程の郊外で、なだらかな起伏の畑に囲まれた農業高校で行われた。高校は20頭程の牛を育て、乳製品の加工工場、敷地の中を白鳥の親子が遊ぶ小川が流れ、百年は経っていると思われる木々があり、まことにうらやましい環境を備えている。私たちは一部屋に12人が宿泊できるユニットで、部屋には8つの温水シャワーを備えた二階建ての快適な宿舎を使わせていただいた。
コンベニオンがあったシャンパニュー地方の中世都市のトロワで、私たちを暖かくもてなしてくれた地元の人たちは、仕事を休んで湖のピクニックに連れていってくれた。湖の岸で食べたサンドイッチは格別うまかった。
彼らが案内してくれたトロワの町ツアーでは町の歴史遺産を一つ一つ時間を割いて説明して頂いた。逆の立場で、もし私たちが自分の町を案内するとしたら、私は町の歴史も特徴も、良い所も何も説明することも伝えることもできないでしょう。私の置かれている社会や政治システムのこともうまく説明することができないでしょう。西洋の人々は自国の歴史・文化にかなりはっきりと自分の社会的主張を持っている。
コンベニオンの帰り、薄茶色の中をまっすぐ伸びる一本の道。140km/hでトロワからパリにぶっ飛ばす車から一面に広がる畑と古い教会を中心に点在する街をじっと見ていると精神の豊かなフランスがせせこましい心を癒してくれるような気がした。
パリから戻って、あっという間に3ヶ月が経った。舞い戻って、日常のわずらわしさは、いつまでも旅の感傷に浸かっていることは許してはくれなかった。今は、旅でみた細かなことはあまり覚えていない。でも、旅で出会った人たちの暖かさ、心の豊かさ、同じ価値観を持った人たちとの交流体験は私の心の奥にずっと生きていくことと思う。
モップのミーティングに参加して
藤内 真理子
トロワに着くとMOPPの友人たちが駅で我々の到着を待っていてくれました。心暖まりました。感謝でした。また彼らの歓迎ぶりに心打たれました。ありがとう。ミーティングの会場は緑豊かな農業高校のキャンパスで、生い茂る木立、清らかな小川、その流れに身をまかせる白鳥、体のすみずみまでリフレッシュ出来ることを約束してくれました。こんな環境の中で過ごせるなんて幸せでした。
数カ国から集まったMOPPのメンバーは皆、個性的で愉快な仲間でした。彼らは必要とされれば世界のどこへでも派遣されていくのです。言葉、文化、生活様式を乗り越えてその国の人々とすべてを分かち合おうとする姿に脱帽します。心から尊敬致します。
神の愛にきちんと対応していけるたくましい精神が一人一人の内に秘められているのを感じました。彼らがひとつになってささげる祈りはとても印象的です。今も脳裏に焼きついています。
話し合いの中で、典礼において神の御言葉は信者の心の中で大切な体験の場になるということが出ました。ミサの朗読を、心の準備をして静かに聞くことが出来るように意識したいと思いました。また、今置かれている場で、自分を最大限に生きてみようと勇気を与えられました。
光への道
水野 真宗
藤内真理子さんの家で、月一回の聖書の会に参加するようになったのは今から7年前のことでしょうか・・・。
ジュリアーノに伝えてもらう聖書のみ言葉に励まされ勇気づけられ、それは、まさに私にとっての福音でした。そして、時には私自身すら気づかなかった罪が示され、戸惑い、涙を流した事もありました。
聖書の会で聞いたみ言葉は、すぐに喜びとなって、私に力を与えてくれたこともありましたが、少しずつ浸透していって、必要な時に私を強めてくれました。触れたものは体のどこかに残っていて、いつも私を助けてくれました。ジュリアーノには感謝しています。
キリストを知らなかった頃の私は自分が神となって頑張り続け、世間の評価がすべてでした。息子がいろいろの問題を起こすのをみて、私はお手上げでした。私の状態の写しでした。どう修復し、彼をどう育ててよいか……。何しろ条件付きでしか愛せなかったのです。私のみならず家族中がそんな雰囲気でした。学歴、性格、しつけ等すべて認められなければ、私は『母親失格』、そんなレッテルを貼られそうでとても苦しかったのに、そんな自分にすら気づかなかったのです。
自分をがんじがらめに縛っていた私にとって、ジュリアーノを通して語られるメッセージは、私を少しずつ解放していきました。人間の限界、ゆだねることの素晴らしさ、罪のゆるし、神の全き無条件の愛……。『神様助けて下さい。どうしていいかわからなくなっています』と心の中でそう叫んでいました。
そんな頃、聖書の旅の案内をジュリアーノにもらいました。「行ってみよう。何かつかめるかもしれない」と今おもえばジュリアーノ以外、まったく知らない人なのに、よく二人の幼い子どもの手を引いて、6枚のシーツと山ほどの着替えを背負って行ったものだと今さら感心してしまいます。その時の心は飢餓状態でした。案の定、聖書の旅でも息子は友人とトラブルをおこし喧嘩になり、いじけ……結局私は見知らぬ人たちの前でオイオイ泣いてしまいました。どうしていいかわからなくて……。でも出会った人たちは皆、息子にも私にも評価をつけず、そのまま受け入れてくれました。口うるさく言いそうになる私に「彼のやりたいようにさせてあげて」と言ってくれました。おかげで私は息子が良い子でいるように細心の注意を払わなくて済みました。ほっとしました。息子も私も久しぶりに味わう解放感でした。
これがきっかけとなって、仕事が忙しくてなかなか時間をつくれない夫を残し、二人の子どもと聖書の旅に参加するのが恒例になりました。真理子さんの家で聖書を学んでいるメンバーもファミリーで加わり、子どもたちもだんだん馴染んでいきました。たまにしか会えないけれど、楽しい思い出を共有する仲間……。
そんなある日、聖書の旅の予定を入れているのに主人が家族旅行の話をもちかけてきました。子どもたち二人とも主人と旅行をしたがりませんでした。主人はありのままの未熟な息子や娘を受け入れられないのです。当然小言の連続と叱責で楽しくありません。家族旅行には誰もついていかない。しかたなく主人も聖書の旅にくることになりました。ただし宗教は大嫌い、すべて自分の自由にするという条件でした。まったく自由奔放、勝手に本を読み、昼寝をし、ろくに手伝いもせず……。でも、夜お酒が出ると仲間に加わっていろんな話を楽しくしていました。聖書の旅に主人を誘うことで、私がいくら話してもわかってもらえない事が、聖書の旅で出会ったたくさんの友人を通して無理なく伝わり皆さんに助けていただきました。本当に感謝しています。夫婦二人だと話が平行線になってしまうのに、無理せず何度も参加するうちに、私の思いも少しずつわかってくれて、我が家の空気が変わってきました。
私が受洗して、今息子が主人と二人で旅行するのを楽しみにするようになって本当に良かった。聖書の旅で大自然の中に身を置き、すべて御手の中、聖霊の働きに守られ、キリストにつながれている良き友人に支えられて、たくさんの祝福をいただきました。神様は少しずつ私の家族の状態を整え、たくさんの友人を通して、ゆるしや祝福を与えて下さいました。
それから、昨夏フランスのトロワでキリストにつながれている共同体の素晴らしさと聖霊の働きを肌で感じてきました。トロワは農業国、フランスを語るのにはとても良い所でした。パリの歴史、伝統の重み、石の文化とは対照的で、地平線かなたまで広がるひまわり畑、麦畑、そして牧草、ゆっくりと草を噛む牛たち、水を満々とたたえる豊かな湖、そのほとりで憩う人々や豊かな水と大地に育てられた木々、人なつっこい犬たち、写真でよく見るヨーロッパの素敵な家々……そして古い家はつっかえ棒をしてお互い支えあっているのです……おもわず「私たちの共同体のようだね」と言ってしまいました。
神様が創った大自然の中、朝昼夕のミサは本当に心洗われる思いで感激しました。……前にならぶ司祭たち、世界中の人たちの歌声……言葉を越えて肌で感じる典礼の素晴らしさを改めて感じました。いつもあたり前のようにレミの歌声を聞きミサにあずかっていたけれど、レミが日本にいることにあらためて感謝します。今回トロワに行って私たちがいちばん伝えたかったこと、ジュリアーノやレミやちょっと前までいたフィリップが日本人にとってどれだけ必要か、言葉の壁もあって世界中から来た兄弟たちに伝わったかどうか少々心配ですがMOPPでのジュリアーノ、レミ、フィリップの重要な働きを良く認識することができました。にもかかわらず、なかなか布教できない彼らの悩みもよくわかりました。私たちはとても素晴らしいMOPPの兄弟たちとともにいるのに、なかなかはっきりと彼らの良さが伝わらなくてとても残念です。
そして良くても悪くても、私は日本人ということを強く感じた旅でした。日本人は農耕民族です。時が来れば田んぼに水を引くのも田植えをするのも刈り入れるのもお互い助け合って仕事をし、能率をあげ生きてきました。良い意味で自然と団結力が強まるし協調性も育ちますが、『村八分』という言葉があるように大勢の意見に従えない者は排除されるということもあります。隣を見て一歩出すか一歩さがるか決めなければならない社会。他との比較で自分の価値を認めていく所があるし、もたれあって依存する事が美徳という部分もあると思います。まして島国となれば、他との衝突もなく平和でいられる半面、違いを受け入れにくいし、個として独立しては成り立たない所があると思います。ヨーロッパ人がもっている個を尊重する感覚は日本社会の比較の中でしか認められない価値観がすべてだった私にさらなる解放を与えてくれました。
『私は私であっていい』、それはキリストが私たちに伝える、私は世に二人といない独立した人格的存在であること、『あなたは高価で貴い』『ありのままのあなたが素晴らしい』というメッセージと同様に写りました。私の価値観は『世界は広い』『生き方はいろいろある』と変えられました。息子も娘も自ら何を選びとるかわかりませんが、自分らしく自由に、そして喜びを持って生きていけるでしょう。
ヨーロッパの空気をすい、水をのみ、ヨーロッパで育ったMOPPの兄弟たちは日本人が持ってない感覚をたくさん持っています。日本人がキリスト教を語るとどうしても教義(おしえ)になってしまうように感じるのですが、MOPPの兄弟たちはキリストを今生きている人格としてとらえていると思うのです。日本人は枠(教義)からはみ出さないようにするけれど、キリストは教義ではなく、おしみなく愛を注ぐ完全な人格として今ここにいることを感じさせてくれます。それに教会の中でのみ生活している司祭や牧師とちがい私たちと共に、日本の社会で生活することで、私たちと同じ位置で悩み、共に分かち合うものを持っています。
日本人はなかなかクリスチャンにならないけど、またクリスチャンの人でも教義にしばられて本当の自由と解放、そしてゆるしとエネルギーをもらえないで苦しんでいる人もいます。あらためて違った所から、キリストを深く知るのにMOPPの兄弟の存在は大きな助けになっていることでしょう。
たくさんの恵みが私と私の家族にいただけたのはジュリアーノを始めキリストにつながれたたくさんの良き友人のおかげです。友人たちと巡り合わせ、私が心の底から求めていたものを与えてくださった神様に感謝致します。『神様のなさることは時にかなって美しい』と実感しています。そしていつか、夫とキリストを通じてより深くお互いを理解できる日がくると確信しています。
≪報告1998年≫
6月29日(土) 聖ペトロ・パウロの祝い